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厚生経済学(Welfare Economics)から見る福祉 human welfare 2

福祉の議論はその要に価値基準があるといえましょうが、社会科学の世界の学問的立場からすると価値自由が重んじられてまいりました。価値自由ないし没価値性のもとにあるとされる科学の世界において、本当にそれが達成されているのだろうかと問い詰めていくと最終的には前提された価値を発見してしまうのです。如何にそれを求めても価値前提或いは所与としての価値が根底にあることに気付かされてしまうことになるのです。これは厚生経済学という領域の世界では如実に見て取られることです。厚生経済学の生みの親といえるA.C.ピグーにおいてよく知られているように、「人の享受する福祉の総和を最大にする」という目的をもって、考察を進めるためには個人の満足やその比較を価値判断していかねばならないという結論に達してしまいます。このことを含めて価値判断の除去の困難がライオネル・ロビンズによって指摘されたことは周知のことです。こうした価値観の導入から離脱するための努力が様々の学者によってなされて参りました。多くの研究者のなかから数人を選んで記載しておきます。まずI.M.D.リトルを取り上げますと、彼は「各種の個々人の満足を比較するのではなく」[貨幣一単位の一般化された効用増大への貢献を調べればよい」とし、それを基にした政策判断のための基準を考えようと致しました。更にバーグソン=サムエルソンの「社会的厚生関数」も著名です。この「与えられた社会厚生関数に即して望ましい資源配分がを実現してゆけばよい」というわけです。さらに追加するとK.アロウの「一般可能性定理」を忘れることはできません。彼は人の選好序列から社会的序列を形成することの不可能性を教えてくれます。彼は完全な民主的決定が不可能であることを明示します。しかし同時に彼は選択対象が二つである場合や、討論や説得が徹底してなされるばあいの合意の容易さを指摘しています。また突出した選好が示される場合にも同様とされます。私は、もう一人、社会学的厚生経済学者とも呼べるJ.ルーゼンバーグを取り上げておきたいと思います。彼は価値合意を、ルソーの一般意志のようなものではなく、個人が内面に抱いている価値態度として把握される内容であるとしている。こうした個々バラバラな価値態度が社会的役割の構造状態によって標準化され最終的な社会的合意に到達していく。したがってそこに存在する社会制度が社会的合意に至る手段の集積体と理解される。このようなルーゼンバーグの考え方は「社会的厚生関数」の考え方を社会学的に表現し、社会制度に対するその健全さに信頼を置いたものと言えましよう。
 さて今まで見てきたように、価値判断の存在に対する特にそれと深く関係する福祉設定態度に関わる厚生経済学の議論を概説してきましたが、このような議論に多くの方々が、研究の情熱を傾けてきたことに深甚からの敬意を払いたいとおもいます。福祉価値の妥当性を見出すための、特にその社会的妥当性を設定し福祉の学問を確立するための努力の一端をここに知ることができます。
 しかしこうした価値自由への道を参照しながらも、アロウのいうような人間の総意として受け止められる価値の設定は不可能なのでしょうか。われわれは施策の与件、前提となりうる価値をもっと掘り下げていく必要があるのではないでしょうか。次にhuman welfare 3としてアマルティア・センの人間福祉的経済学について述べていくことにします。
以上 牛津信忠著「社会福祉における相互的人格主義Ⅱ」4-11、久美出版 2008年 参照。


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