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記憶障害と娘の逞しさ

前回は、『記憶障害と私の夢』についてお話を書かせて頂きました。
今回は、記憶障害と、私の家族である、主人と娘のお話を書かせて頂きます。
私は、14歳から記憶障害になりました。
前回も書かせて頂きましたが大学病院に10年通院しました。
病院の薬の副作用で、体重が100キロをこえてしまい、日常生活することがかなり辛かったのを覚えています。
ある程度、記憶が回復してきたのは、25歳。
回復してきたので、25歳ぐらいからバイトに行きだして、27歳の夏、バイト先で知り合った主人と結婚。
主人とは、授かり婚でした。
私が、母になる。
嬉しいけど、不安でした。
育てする事ができるのか、、。
『でも、迷っている時間はない。』
『しっかりしないと。』
そう自分にいい聞かせて、、。
妊娠中、自宅で昼寝中に切迫早産になり入院。一旦退院して、出産間近に部分破水で再び入院。出産するまでに二回入院をして、入院中、ウテメリンという点滴24時間しました。その点滴の為、高熱が続き、食欲不振になり体調も崩しましたが、なんとか無事に出産をクリア。
育児中も、何回か、記憶障害にはなりましたが、主人に言ってもその当初主人は、ちょっと冷たい人でしたので、助けてはくれませんでした。
主人の家族も、助けてはくれませんでした。
『記憶障害?貴女がなまけているだけでしょ?しっかりしなさいよ!貴女はお母さんなんだから。甘えた事言ってちゃ、赤ちゃんが不安になるから』と、お姑さんにも言われ、、毎日、自分の気持ちに押し潰されそうになり毎日泣きました。
でも、くよくよしていては前進しません。
『娘がいるからしっかりしないと。私はこの子を守らないといけないんだ!』そう思いなおして育児に集中しました。どうしていいかわからず、助けてくれない主人に嫌気がさし、父と母に『辛かったら、離婚して帰ってきてもいいから。我慢しなくていいからね。』と言われましたが、弱音を言うのはあまり好きではないので娘が成人するまで頑張ろうと目標を決めて育児に専念しました。娘を父親のいない子供にしたくない気持ちがあったので離婚は我慢しました。
あれから、、15年という年月が立ち、現在娘は、高校一年生。
優しく、母親思いの子供になりました。

私が苦労しているとき、いつも傍にいて
『お母さん、私がいるから。無理しないでね』そういつも言ってくれたのは、幼い我が子でした。
いつの間にか、記憶障害も、少し回復しました。
時々、外出している時に記憶がなくなり、どうしていいかわからなくなる時はありますが、娘に助けを求めらる時は電話をすると、走って迎えに来てくれます。
主人も、現在は優しいです。
ちょっと言葉のすれ違いで夫婦喧嘩になると、娘が『お父さん!お母さんを大事にしてあげなよ!
父さんは、お母さんがいないと生きていけないのに。お母さんに、万が一何かあったら、お父さんのせいだからね!そうなったら、お父さんなんか嫌いになってややる!』と言ってくれたのです。
私もびっくりしました。まさか、娘が庇ってくれるなんて、、こんなに私を守ってくれるようになるとは思っていませんでした。

娘が庇ってくれた時は、嬉しくて泣いた気がします。
それから、主人は、娘に言われてから、少し反省をしたみたいで少しずつ優しくなり、今では私の良き理解者になりました。
出産した時は、かなり不安で『ちゃんと育てられるかな?』なんて思いましたが、子供って親の背中を見ているものですね?
大人に近づけば近づくほど『成長してるんだな逞しいな』と思う事が増えました。

『最後に』
『○○(娘)へ』

産まれてきてくれてありがとう。

お母さんの子供として産まれてくれて本当にありがとう。

こんな頼りないお母さんだけど、よろしくね。
いつまでも、大好きだよ。

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