暁のバケモノ

一話

 『厳正なる結果、誠に残念ではございますが、今回はご希望に添いかねる……』
『誠に残念ながら、今回は……』
『水宮様が今後より一層ご活躍されることをお祈りしております。』
 誠に残念、誠に残念、誠に残念……。この文面を見るのは何度目のことか。いつまで経っても『残念』が消えない理由はわかっている。
 僕は薄すぎる。
みんな何かしらの特技がある中で、僕だけはなにもない。どの参考書を読んでみても、答えは同じ。二十二歳。リーダー経験なし。学校の休み時間ではいつもぼーっとしているだけで、コミュニケーション能力などかけらもなく、人と話すには原稿がいる。授業で先生にあてられたら、いつもどおりぼーっとしていればいい。そうすれば勝手に色々解釈して、他の人をあててくれる。
 とりあえず、目立たないように。そして、何にも関わらないように。
そんな考えを持ってる奴が、高校卒業はい就職!なんてできるわけがない。人とはほとんど話せない。印象といえば、声がほとんど聞こえなくて、とりあえず影が薄い。いや、僕が帰った瞬間僕の存在すらも忘れているんだろう。そんなやつを採用するくらいなら、自分が二人分働こうと思う人はきっと少なくない。
 忙しない音と動きに溢れた世界の空気は、最近少し冷たい。
 きっと僕とは違って優秀な人たちが創ったであろう板の画面をスワイプしながら、僕は考える。
 あの大きなモニターに写った有名俳優にも、路上でチラシを配っているメイドにも、仲良さそうに恋人と歩く彼にも、影の薄さなんて関係なさそうなコンビニ店員にだって
 僕にはなれない。
 「おやおやおやおや。うっっすいですねぇ」
「…‥!?」
 彼が誰に話しかけているのか、一瞬僕にはわからなかった。
「きみぃ、この仕事にぴっったりですねぇ」
「僕に、言ってます?」
「ほぉかに誰がいるんです!?」
「はぁ」
「その感じぃ!普通逃げるか悲鳴上げるかするとこを『はぁ』!!いいですねぇ」
歳は見た目から読めない。緑色の目で肌は白く、身長は百七十三センチメートルある僕より少し大きい。
「あの、貴方は誰ですか?」
「就職、しません?」
疑問符だらけの頭の中に『就職』という言葉だけが、まるで真っ暗闇の中に置かれた真っ白な光のように輝いた。
「就職、できるんですか?」
「君にぴっったりな仕事があるんです」

 やります?
 
緑がかった目に飲み込まれ、気づけば「はい」と答えていた。
満足そうな笑みを浮かべ、男はさっさとどこかに消えてしまった。何だったんだろう。
 冷たい風が首を舐めていった。

 その次の日、僕の住むアパートには封筒が届いていた。
 『この度は弊社求人に応募くださり誠にとてもありがとうございました。
また先日は追い払わず通報もしないで頂いたこと、重ねてお礼申し上げます。
慎重に考えた結果、貴方の採用を決めましたので、ご連絡します。
入社日は明後日を予定しております。
つきましては、明後日下記の場所へお越しください……』
 中学生が書いたような文章で、明後日から出勤、しかも教えたはずのない住所にしっかり封筒が届いているなんて怪しすぎるにもほどがあるのだが、そんなことはどうでもよかった。
『採用』の二文字が、とても嬉しかった。
 「たっっっかぁ……」
紙に書かれていた場所に向かうと、そこには天に届きそうなほどに高いビルがそびえ立っていた。グレーが基調で、ところどころ四角く黒い模様がついた壁、真っ白に反射する数え切れないほど多くの窓、ここへ来る人を誘うように並ぶ木と名のわからない花々。すべてが眩しく見えた。
 『お静かに』
そう彫られた金のプレートを横目に、自動ドアを通る。お静かに?これが会社名?変わっている。そういえば、僕は今から務める会社の名前すら知らなかった。
 中に入って周りを見渡す。受付らしきところで「すみません、」と声をかけると、いきなり体中がゾワッとした。後ろを振り返ると、視界に入るすべての人が、迷惑そう、呆れたよう、不安そうのいずれかに当てはまる表情で僕を見ている。こんなに注目されたのはいつぶりだろうか。
 『ちょっと、何喋ってるんですか!?』
「え!?」と声に出しかけた僕の口を、顔面ごと手のひらで抑えてきたその女性は、まるで幽霊でも見たかのような表情と、口に大量のタバスコを入れられたかのような表情が混じったような顔をしていた。
 『あ、その子新人くんじゃない?』
女性の後ろから、金髪の男性がひょっこり顔を出した。
『アル子ちゃん、あの部屋まで連れてってあげてよ』
『なんで私が……。あとでジュース奢ってくださいね!』
『考えとくね』
『行きますよ新人さん。あ、返事はしないでくださいね」
呆然として聞いていた忙しない会話からいきなり自分に話が来て、思わず声が出そうになり、慌てて飲み込む。
 「もう喋ってもいいですよ」
案内されたのは、ソファーと細長いテーブル、観葉植物だけが置かれたシンプルな部屋だった。
「インフォメーションスタッフの亜瑠です。なにか質問は?」
歳は僕と同じか少し上ぐらいだろうか。大きめの目とサラサラと揺れる金髪は、不満そうな顔をしているにも関わらず、その表情を可愛らしく見せた。
「み、水宮モモです。あの、なんで僕は喋っちゃだめなのに、亜瑠さんたちは喋っていいんですか?」
まだ混乱したままの頭から、自分の名前と質問を絞り出す。
「説明とか、受けずに来たの?」
「多分?」
「じゃあ、喋っちゃいけないことだけ先に説明しとくね。
 ここでは声を他人にバラしちゃいけない」
「?」
「まあその理由はあとで社長が説明してくれる。声がバレていい相手は私達インフォメーションスタッフの中の何人かと、ナースさんと、社長と、班の人だけ」
「じゃあ、亜瑠さんたちも声を出しちゃだめだったんじゃ」
「私達の声、なんかおかしいなって思わなかった?」
さっきは困惑しすぎて気に留めていなかったけど、聞かれてみればなんとなく声がこもっていたような気がする。
「なんとなく」
「あのとき私達は、テレパシーみたいなもので喋ってた。この仕事の殆どは、それで会話することになる。『お静かに』って書いてたでしょ?」
『お静かに』って、ほんとにそのままの意味だったのか。
 
 コンコン

「来た」
亜瑠さんが、少し嬉しそうな顔をする。

 ガチャ

入ってきたのは、僕を仕事に誘った彼だった。
「おはよう水宮くん、そしてようこそ我が社、サイレントへ」
サイレント。低く柔らかい、でもどこか強いような声で、その言葉が僕に届く。
「君にはまだ言ってなかったね。ここは『サイレント』。君には『ケモノ』を倒してもらう」
「『ケモノ』?」
「音だけで相手を見つけ、静かに襲って黄泉へと送ってしまう生物。その対象は人間だけでなく、猫や鳥、虫などすべての生き物だ」
「そんなの聞いたことないですよ」
「黄泉へと送られた生き物は、現世の生き物すべての人の記憶から消える。だから噂が立つこともない。この前は、犬の散歩をしていた時、犬だけが黄泉に送られ、飼い主はなぜ自分はリードだけ持って外にいるんだろうっていうことがあったらしい。被害届も出ないから、どれぐらいの被害があるのかもわからないんだ」
顎に手を当てて悩ましそうな表情をした後、あの緑色の瞳だけ僕の方に向ける。
「誰にも気づかれないほどに静かに、影を薄くしなから、『ケモノ』を捕らえる、もしくは殺さなければならない。それが君に向いていると考え兄は君をスカウトしたやりがいはあると思うが、」
ん?
「え、兄?」
「ええ、水宮くんと最初に会ったのは、私の兄の美里です。自己紹介を忘れていましたね。私は美智。この会社の社長です」
「水宮、そんな事も知らなかったの?」
「だって聞いてないんですから」
急に名字を呼び捨て、更にタメ口になった亜瑠さんに戸惑いと少しの苛立ちを感じながら、美智さんの話の続きを聞く。
「この仕事には危険も伴う。黄泉に送られる、つまり死んでしまい、その上この世界に忘れ去られてしまうかも知れない。私達は表でヒーロのように活動をすることもありませんから、多くの人に称賛されることもないでしょう。ですが水宮くん、これは誰かがやらなければならない仕事。サインをしてしまった後ですが、取り消すことも今なら可能です。その上でお聞きします。
この仕事を、していただけますか?」
死ぬかも知れない。自分は元々いなかったかのように、忘れられるかも知れない。でも、誰かがしないといけない仕事。
でも今まで、僕はどの会社にも必要とされてこなかった。
でも今は、僕が必要とされている。
「やります」
「わかった。さすが兄がスカウトした子」
こうして僕はサイレントに入社し、

殺し屋になった。

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