なぜ体癖論を学ぶのか

初めまして。Huiziと申します。
このnoteは、私が体癖論(名越式性格分類)やアドラー心理学、仏教心理学を学ぶなかで感じたことを書くためのものです。
学びが遅く、体癖論の勉強に苦しんだ(苦しんでいる)私だからこそ、学びの過程で感じたこと、疑問に思うこと、また私なりの体癖論の視点をお伝えすることにより、体癖論の面白さを感じていただいたり、少しでも体癖論を身近に感じていただけたら嬉しいなと思っています。
今日は、体癖を学ぼうとしたきっかけ、体癖の良いところ・気をつけるべきところ、について書きたいと思います。お付き合いいただけたら嬉しいです。
私が体癖を学ぼうとしたきっかけは、完全自分の為。ズバリ、「自分が全然分からなくて苦しかったから。」です。その上、自分のことが分からないからもちろん他人のことも益々分からない。人間理解(自己理解・他者理解)について、なんの手掛かりもなかったからです。でも、もちろん自分バイアスはバリバリあって、「なんであの人はあんなことするんだろう?私だったら絶対しない。」なとど思ったり、自分については、「なんでこんなに人と馴染めないんだろう。私だけ異常なのかも。」なんて思っていました。
人間十人十色「体癖って決めつけじゃないの?先入観を深めるだけじゃない?」と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。ごもっともです。でも、100人いたら100通り、それぞれの違いをありありと感じられてるでしょうか?その感じている違いって自分の先入観かもしれない?!この問いにNOと言える人は少ないんじゃないかと思います。
体癖論(名越式性格分類)では、その違いを10種類に分類します。例えば、物事を勝ち負けという軸で考える体癖の人がいます。その体癖の人は無意識に誰か(何か)と張り合います。他の体癖からすると、勝ち負けなんてどうでもいいじゃないか、もしくはそもそもそれは勝負なのか?と疑問に思いますが、それがその体癖の感受性なのです。なにかにつけて張り合ってくるなぁと思ったら、その体癖の人もしれません。なんかつっかかってくるけど、私のこと嫌いなのかな?違います。張り合うことが快で、それが自然な姿なのです。このように、自分とは違う体癖を学ぶことによって、人間理解が進み、人間関係が楽になるかもしれません。
じゃあ、自分と違う体癖の特徴を理解すれば人間関係が完全に楽になるのか?自分の体癖を学んだら自己理解が進み完全に楽になれるの?…正直に言うと、個人的にはもう一枚ある気がするのです。あくまで個人的にですが。
「あの人は○種だから張り合ってきて厄介だ。だから○種は嫌いだ」「私は○種だから鈍感だ、でもそれは体癖だからしょうがない。」つい体癖を原因に(原因論で)考えてしまい、一歩間違えれば体癖を理由に人間関係や自己理解・成長を阻むことになる気がします。
体癖は毒にも薬にもなる、と個人的には思います。
体癖を原因論で使うのではなく目的論で使いたい。体癖を通して、他人や自分を面白がりたい。今のところは体癖についてそんな風に思っています。

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