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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第30話

第30話 次の転勤について人事と話したことを妻に伝える

 また、この時期がやって来ました。転勤族の風物詩、とでもいいますか。
 ああ、失礼しました、皆さん。特別国家公務員=防A省の技官=全国転勤族の筑後川敦です。
 早いもので、現在の駐屯地での勤務も3年目の終わりに近づきました。皆さんは、「え? もう3年経ったの? 早くない?」と思われるかもしれませんね。この小説が、なんとなくエッセイ臭く感じられたとしても、小説であるかぎり、現実世界よりも時が早く進んでいるのです。あっという間に、次の転勤先はどこだろう? とそわそわして過ごす時期となってしまいました。
 という訳でーーー
 本日、転勤を予定している者たちは、人事と話をした訳です。当然、仕事を終え缶車に帰り、妻にそのことを話しました。
 一通り私の話を聞いた後、妻は弥生人のような小さな口を少々尖らせてこう言いました。
「それって、どこだったの?」
「わからんばい」
「わからないの? つまり駐屯地名は明かさないわけだ……」
「うん……」
 妻は明らかに不満顔です。
 私は毎度のことなので、慣れていますが、妻にしてみればこういう顔になってしまうのも仕方がありません。端的に言いますと、今日の人事の話では転勤先の条件だけを話して、具体的な駐屯地の場所は示さなかったのです。
「どこだったか見当もつかないの?」と弥生人顔が私をじっと見つめます。
「うん。わからない。でも、断ったんだから、もうよか」と私。
「で、それで、これからどうなるの?」
「人事が他を探すことになる」
「じゃあ、結局どこだか全然わからないじゃん」
「うん」
 はあぁ~と妻は大きな溜息をつきました。
 もう12月末です。年を越したら、1、2、3月と3ケ月しかありません。辞令は4月1日付けで下りますから、我々防A省・自A隊の隊員はそれに従わなければなりません。あまりにもギリギリに勤務先を告げられ、引っ越し準備が間に合わない場合もあります。しかたなく本人だけ先に行き、缶車の手続きすら間に合わず、仕方なくビジネスホテルで過ごし、家族が後から引っ越してくる、なんてこともざらにあります。その場合のビジネスホテル代は当然自腹です。(転勤族は余計な出費が多いものなのです。いやいや、参ります…)
 テーブルの上のトキのきいちゃんは、先程から我々の不穏な空気を察知しているのか、一言も喋りません。おーい、きいちゃん、助け船を出してくれよ、と心の中で言います。
 その時、妻がやけっぱちという感じで……
「ねえ、きいちゃん、来年の4月からあたしたちは一体どこで暮らすんだろうねぇ? 一体いつになったらわかるんだろうねぇ?」
「きいちゃんいっしょ、みんないっしょ、いっしょ」
 ときいちゃんがガラス玉のような瞳をキラキラさせて言います。
「そうだね、皆一緒なら、まあいいか」
 きいちゃんを抱き上げて、妻が言いました。なんとか自分を納得させているのでしょう。私がほっとしたのはいう間でもありません。きいちゃん、ありがとう! それにしても、本当にどこになることやら……
 まあ、我々は引っ越し先でも缶車住みということに変わりありません。どうぞ、これからも宜しくお願い致します。


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