船越幹央

neoマチアルキ主宰/歴史研究者/フィールドワーカー。日本近代史/都市論。現在、大阪大学総合学術博物館。noteでは、僕が歩いたマチの雑感=フィールドノートを中心にアップしていきます。

船越幹央

neoマチアルキ主宰/歴史研究者/フィールドワーカー。日本近代史/都市論。現在、大阪大学総合学術博物館。noteでは、僕が歩いたマチの雑感=フィールドノートを中心にアップしていきます。

最近の記事

【フィールドノート/大阪】天下茶屋・聖天山を改めて歩いて見えてきたもの

 天下茶屋駅から東へ  先日、西成区の天下茶屋駅から阿倍野区にかけて歩いた。この先2度ほど街歩きイベントをするための下準備だったが、確実を期すため、もう一度歩いてみることにした。今回は、そのなかで気づいたことに絞って記してみたい。  朝から好天だった。11月というのに、帽子が必要な日差し。午前9時すぎ、天下茶屋駅に降り立ち、東に延びる商店街を行く。アーケード街だがひなびていて、紀州街道を越えた先はさらなる裏寂しさが滲み出ている。    聖天さんの石標  再び、聖天山

    • 【フィールドノート/大阪】天下茶屋から阿倍野区へ、台地の凹凸を歩く

       天下茶屋と紀州街道  天下茶屋の駅が改築されてから、もう何年が経つのだろう。地下鉄が延伸され、南海電鉄も高架になって、随分と立派な駅になったが、もともとは庶民的な街という印象がある。大阪市西成区にある天下茶屋。「てんがちゃや」と濁って読む。太閤秀吉の伝承に彩られた由緒ある地名だが、その遺址を訪ねる人はもう少ないだろう。  駅前に降り立つと、いきなり「立呑み処Y」の看板が目に飛び込んでくる。ここでは以前、友人と呑んだことがある。至って庶民的な呑み屋で、軽く一杯やるのがいい

      • 【フィールドノート/大阪】城東・東成の住宅街を歩き、神社の石造物に出会う

           京橋から寝屋川を越えて  休日の午後。14時から玉造でNPO法人の会合がある。京橋駅に降り立ったとき、およそ1時間の余裕があることに気付いた。早めに行って昼食をとるとしても、少し早すぎる。街を歩いて、時間をつぶすことにした。  JR京橋駅の北改札から東へ向かう。古くに埋立てられた鯰江川(なまずえがわ)の堤防は街道筋になっていた。その北側には、かつて井路(いじ。水路のこと)が流れており、戦後になるとそこが埋立てられて道路になった。ここが現在、京橋の立呑みストリートと

        • 【フィールドノート/大阪】島之内という、つかみどころのない街(その2)

           背割り下水の痕跡  さらに歩いていくと、このブロックの中央に至る。船場でも島之内でも、東西の通りから次の通りへの距離は、ざっくりいうと約80mになる。その中程、40mほどの地点に町の境目があることになる。僕はいつも歩測しているのだが、歩幅約70cmの自分が50数歩歩くと、町境となる。  町境には、多くの場合、いまでも建物と建物の間にすき間が残っている。これがかつて溝(背割り下水)が流れていた痕跡だ。江戸時代の溝の幅は、通常は1mあるかないかと狭い。近代になって下水道が整

        • 【フィールドノート/大阪】天下茶屋・聖天山を改めて歩いて見えてきたもの

        • 【フィールドノート/大阪】天下茶屋から阿倍野区へ、台地の凹凸を歩く

        • 【フィールドノート/大阪】城東・東成の住宅街を歩き、神社の石造物に出会う

        • 【フィールドノート/大阪】島之内という、つかみどころのない街(その2)

          【フィールドノート/大阪】島之内という、つかみどころのない街(その1)

             島之内というエリア  島之内。そう聞いて分かるのは、地元大阪の人だけかも知れない。観光客でにぎわう道頓堀の川を隔てた北側。インバウンド客が多い心斎橋筋などを含むエリアで、一般には「ミナミ」の一画と言った方が通りがよい。  僕にとって、島之内(しまのうち)という地名はこの上なく上品で、しっとりとしたものに感じられる。もともとは東横堀、道頓堀、西横堀、長堀という4つの堀川に囲まれた区域で、あたかも島のように浮かび上がっていたのだろうか、などと想像させたりする。北にある

          【フィールドノート/大阪】島之内という、つかみどころのない街(その1)

          【フィールドノート/東海地方】浜松・豊橋へ、初めての旅(その2) 

           翌日は豊橋へ  旅の二日目。5時半頃に目が覚めてしまい、今朝行く浜松城は何時に開城なのだろうかと調べてみると、8時半という……。城内にスターバックスがあることが分かったが、それも8時オープンだ。仕方ないので外観見学にしよう。  7時半すぎにホテルを出た。引間城という古城址を訪ね、家康・秀吉の銅像とスリーショット写真を撮り、スタバの前を通って、復元された天守閣を見に行く。ざっくり積まれた高い石垣が、いにしえの浜松城をしのばせた。  駅に行き、電車で豊橋へ。逆方向の通勤者

          【フィールドノート/東海地方】浜松・豊橋へ、初めての旅(その2) 

          【フィールドノート/東海地方】浜松・豊橋へ、初めての旅(その1)

           名古屋へ  もともとは名古屋に行くつもりだった。だが、急に思い立って浜松を訪ねることにした。理由は、これまで行ったことがなかったから。  まず、大阪難波から近鉄の特急「ひのとり」に乗り、名古屋へ。そこからJRに乗り換えて東に向かう。ここで、ちょっとした出来事があった。名古屋駅には近鉄とJRの連絡改札口があるが、そこで間もなく大府行きの普通電車が発車すると分かった。急いでトイレを済ませ、ホームへの階段を上ったのはよかったが、最後の1段でつまずき、こけてしまった! 幸い、膝

          【フィールドノート/東海地方】浜松・豊橋へ、初めての旅(その1)

          【フィールドノート/大阪】漁港のある街・福と伝法を歩く(その2)

           高架化する阪神なんば線  帰り道は、暑いので緑陰道路を歩くことにした。ずっと歩くと地下道があって、国道43号を潜る。気付くと福駅よりも北側に来ていた。当初の予定では新淀川を徒歩で渡って伝法に行くつもりだったが、さすがに歩く気力もなく、福駅から阪神電車に1駅だけ乗ることにした。  ホームに立って気付いたのだが、仮ホームなっている。最初に書いたように、ここは高架化されるわけだが、高架橋工事のためにホームを東へ移動したらしい。電車に乗って新淀川を渡ると、水面から何本も橋脚が突

          【フィールドノート/大阪】漁港のある街・福と伝法を歩く(その2)

          【フィールドノート/大阪】漁港のある街・福と伝法を歩く(その1)

            福に行く  午前9時半を過ぎて阪神尼崎駅のホームに着く。ここで阪神なんば線に乗り換える。尼崎を出ると、すぐ大物に着く。「だいもつ」という特異な地名。ここは本線となんば線の分岐駅だが、普通電車しか停まらない。しかし僕の中では、源平合戦の舞台として歌舞伎にも登場する「大物浦」の故地として記憶されている地名だ。そのあと新淀川を越えると出来島(できじま)、そして福に着く。ここは、大阪市西淀川区である。  福(ふく)というのも珍しい地名である。たぶん、江戸時代の新田開発では松と

          【フィールドノート/大阪】漁港のある街・福と伝法を歩く(その1)

          街を歩くって、なんだろう?

             はじまりは、豊中  発端は、転職だった。長らく博物館で学芸員をしてきた僕だが、縁あって大学に転じることになった。大学は「豊中」という、これまでほとんど来たことのない街にあった。     豊中は、大阪市の北郊にある人口40万人の典型的な住宅都市。古い表現でいうと「ベッドタウン」で、北部の丘陵には千里ニュータウンが広がり、南部には長屋やアパートが並ぶエリアもある。40万人というと、大阪府内では大阪市、堺市の2つの政令市、そしてロケットも作る「町工場の街」として有名な東

          街を歩くって、なんだろう?