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【父のつぶやき】妻が亡くなってから、その後の暮らし(2) 「喜び・生きがい」だった妻の「介護」

 私は、介護施設に入っている妻の「介護」をすることを「喜び」「生きがい」と感じていました。そう言うと多くの人は奇異に感じるようです。そもそも「介護」を「喜び」や「生きがい」と感じる人は少ないのが現実です。私も最初から妻の「介護」に「喜び」を感じていた訳ではありません。自宅で妻や妻の母を介護していた時は、介護という作業に追われるだけであり、「苦痛」と思っても「喜び」や「生きがい」と感じたことはありません。


 私が「介護」について「喜び」と感じるようになったのは、介護していた二人が特別養護老人ホームに入所してからです。初めて自分の自由な時間が出来たので、介護について調べ、様々なことを学ぶことが出来たのです。それは私が自宅でおこなってきた「介護」に対する反省ともなり、特養に入所した妻に対する私の「新たな介護」の指針となりました。それを実践することで、妻への「介護」は私の「喜び」になり「生きがい」となったのです。
 妻の部屋に入ると、私は声をかけながら意図的に妻の手を握り、時折、頬を触ることを心がけました。それは「タッチケア」の実践であり、幸せホルモンである「オキシトシン」の分泌を促すためです。年老いた私にとって、それは気恥ずかしいことでしたが、欧米では「介護=ケア」の手法のひとつとして、育児や高齢者介護で広く実践され、大きな効果を上げていることを知ったので、自分も実践したのです。


 この「タッチケア」に対して、妻は嬉しそうに応えてくれました。自宅での「老老介護」の実態をテレビで見ると、男性の介護者は妻に対して「タッチケア」はおこなっていないようです。私もそうでしたが、介護の手法であると認識すると容易に出来るようになりました。ただ妻の認知症が進行し、夫である私を認識できなくなると、「タッチケア」は激しく拒絶されました。これは対象者から信頼している人だけがおこなって効果があるものです。


 私は妻を車いすに座らせると、散歩に出て太陽を浴びながら、たわいのない会話をします。妻は気持ちよさそうに居眠りを始めます。朝、太陽を浴びて散歩するのは「セロトニン」という「心と身体を安定させ、幸せを感じる脳内物質」を分泌させるためです。入所者の散歩は施設でもおこなっていますが、ひとりひとりに付き添って散歩に出ることは職員の負担が大きいことから出来ません。そこで私が家族としておこなったのです。


 妻が食事ととる際も、私が隣に座り、介助することにしました。その際、買ってきた妻の好物を添えて食べさせるようにしました。以前、施設から妻の噛む力(咀嚼力)が低下しているので訓練をしますと言われ、付き添ったことがあります。しかし私は施設内で出される食事を見て、これでは妻の食欲は出ないだろうと思っていました。そこで妻が好きだった寿司を買って食べさせると、職員が驚くほどの勢いで食べ始めました。


 確かに妻の「咀嚼力」は低下していたかもしれませんが、一番大切なことは食欲を喚起することです。そして何が好物かは家族が最も知っているので、好物を買って食べさせたのです。これも「ドーパミン」という幸せホルモンの分泌に繋がります。食事の介助についても、妻が入院した際、看護師の食事介助を傍で観察したことがきっかけとなっています。仕事に追われる看護師では、食事の介助が手抜きになることが多いのを実感しました。


 私はまた妻が好きなテレビ番組を録画し、それを妻に見せることを心がけました。自分でチャンネルを変えることもせず、ボウとして画面を眺めるだけの妻が食い入るようにテレビを見るようになりました。また妻の好きな歌を集めて聞かせることもしました。入院して生死の境を彷徨っていた妻の耳元に、妻の好きな音楽を聞かせたこともあるからです。これは、妻の手術を担当した脳外科の専門医からも良いことだと褒められました。


 これらは、施設から頼まれたものではありません。「介護」は施設の職員が全ておこなうことが原則となっており、私のように毎日「特養」にきて妻の介護を手伝う人はほとんどいません。施設によっては、家族が来て介護を手伝うことを嫌う場合も多いようです。ただ妻が入所した「特養」では、家族が訪れて介護をすることを認めてくれたし歓迎もしてくれました。私も職員の仕事の邪魔にならないように、自分が出来る「介護」だけに努めました。


 私が心がけていたのは「家族だから出来る介護」「家族にしか出来ない介護」です。私は「介護」について調べ考え実践したことを「介護恋愛論」(日本医療企画、2017年)という本にまとめ、それを妻に捧げました。妻は非常に喜んでくれましたが、認知症になった妻には本を読み理解する能力は残っていません。しかし、この本は私が妻を介護する中でまとめたものであり、妻から教えられたもの・妻との共同作品だと思っています。


 この本の中で、私は次の図のように「介護」を「身体介護」と「心の介護」の二つに分け、「介護」を「肉体労働・単純作業」と「専門的・知的労働」「感情(愛情)労働」の「三層構造」として捉えています。介護施設で職員がおこなう「介護」は、「労働」としての「身体介護」が中心となり、「肉体労働・単純作業」から「専門的知的労働」に変化しつつあります。最近では「心の介護」として「感情(愛情)労働」として捉える動きも出ています。

父ブログ 介護の三層構造と社会的イメージ像

 これに対して家族がおこなう「介護」は「労働」ではなく、その対価としての金銭的な報酬はありません。それは家事の延長としておこなわれ、主婦以外の人の介護スキルは低くなります。しかし「愛情」はあるので、「心の介護」としては「仕事介護」よりも優ることになります。それを示したのが次の図ですが、介護作業の負担が大きくなると「愛情」は「憎悪」に変わり、「悪い介護」としての「虐待」を引き起こすことになります。

父ブログ仕事介護と家族介護の違いと特徴

 私がおこなった「妻への介護」は「愛情」に由来する「心の介護」であり、それが可能になったのは施設の職員がおこなう「身体介護」があったからです。私が妻の介護を「喜び」「生きがい」と感じることが出来たのは、この「仕事介護」の支えがあったからです。そこから生まれた私の時間的身体的余裕が、妻への「心の介護」を可能にしたのです。それは「自助」「互助」としての「介護」であり、報酬は得られません。


 しかし私の「介護」にとって、妻が喜んでくれることが最大の「報酬」となります。妻の認知症が進行し、私を泥棒と叫び、車いすに乗せる際にすごい剣幕で暴れ、「殺していやる」と爪をたてられたことがあります。しかし粘り強く「介護」していると、妻は私に対して「結婚しよう」と言ってくれました。それは、私にとって最大の「報酬」であり、今でも喜びとなって思い出されます。妻が喜び笑ってくれることが、私にとって「報酬」のすべてでした。


 「家族介護」への公的な支援は必要ですが、「家族介護」の必要性は認識すべきです。「仕事介護」でも「愛情」が求められていますが、それは職員への過重な負担となり、限界があります。「公助」だけでは「心の介護」を含む「良い介護」は実現しません。「介護」に対する「公助」が「自助」「互助」としての「家族介護」を縮小・否定するものであってはならないと思います。


 私のように子どもも自立し、仕事をリタイアすることで、年金だけで生活している高齢者は多いのですが、そのような高齢者にとって配偶者を介護することは、夫婦間の「愛情」を確かめ、それが「喜び」「生きがい」になります。必要なことは「介護させない」ことではなく、「良い介護」をするために情報を提供し、そのための環境を整えることです。「公助」によって「家族介護」の負担を軽減し、質の向上を図ることこそ大切と考えます。

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