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【父のつぶやき】妻が亡くなってから、その後の暮らし(3) 「助け合い・支え合い」から 「社会の変革」を!

 私と妻は学生運動の中で出会い結ばれました。ともに社会の変革を目指すという点で仲間であり、励まし合って生きてきました。しかしそれは、生まれ育った「家族」や「地域」から離れた「大学」という場所でした。そこでは自分の自由意思で物事を判断できたから、運動や恋愛も出来たのです。実際、運動する場所も、「家族」や「地域」から離れた「街頭」や「キャンパス」であり、デモや署名活動が中心でした。


 しかし結婚して自分の「家族」を持ち、「子育て」が始まると、「地域」での「付き合い」も始まってきます。しかし私たちが参加している社会運動では、自分の「家族」や「地域」は「私的生活領域」の問題であり、課題とはなりません。そこに時間やエネルギーを割くこと自体が「裏切り・怠慢」のようにさえ思われていました。「私的生活」を「犠牲」にして社会変革に「献身」することが求められ、それが賛美されていたのです。


 妻がくも膜下出血で倒れ、介護が必要となっても、それは私的な問題であり、それを社会変革と繋げる発想は私にはありません。障害者や社会福祉の問題は社会変革の実現によって解決すると信じていましたが、それまでは個人的な努力で耐え忍ぶしかない考えていたのです。しかし日常生活において妻の介護をすることは、私にとって大きな負担であり、仕事や社会運動に割く時間が削られることは避けられず、その両立に悩むことになります。


 社会運動の中には「家族」を犠牲にして活動しているする人をよく見かけます。しかし私は社会に向かって「格差の是正」「弱者の救済」を叫びながら、家庭では「身近な弱者」である妻や子どもに犠牲を強要していることに疑問を感じていました。大学においても「革命」や「民主主義」の重要性を説く教員・研究者が、学生や自分よりも弱い立場にある同僚に対して抑圧的・専制的に振る舞うことも多く見かけました。


 口で言っていること・頭で考えていることと、日常生活での言動が一致していないのです。それが運動の中で許容され、問題とされないことに強い怒りを感じていました。私にとって妻を介護することは「自助」「互助」であるが、それは国家による障害者支援=「公助」がなされても必要です。国家に対して「権利」は主張すべきですが、「家族」や「地域」での「責任」「義務」も負わねばならないと考えるようになりました。


 自分の権利を主張するのであれば、他人の権利を守る「責任」「義務」も負うべきである。その点が社会運動に欠落していると思うようになりました。実際、妻の介護は「自助・互助」の側面が多く、「公助」だけでなしうるものではありません。「介護される」ことは個人の「権利」ですが、それは国家だけでなく「家族」や「地域」の中での「助け合い・支え合い」によってもなされるべきなのです。


 そう考えるようになったきっかけは「地域づくり」への関与と参加です。「地域づくり」とは住民相互が「互いの権利を認め、守り合う」ことで可能になります。状況によっては、政府や自治体に支援を求め、そことの連携や協力もおこなっていきます。それは国家に対して「権利」だけを主張し、自分たちが国家権力を奪取してからでないと社会問題の解決は不可能であると考える社会運動とは異なるものでした。


 私は国家に対して「権利」のみを主張し、政治権力の奪取だけを追い求める「左翼的な発想」から決別し、運動から離脱しました。「政治権力を奪取すれば、すべての社会問題の解決がなされる」というのは思い込みにすぎません。既存の「左翼的国家権力」の多くは社会問題が解決しないと専制的で抑圧的になっています。それは、「家族」内での弱者への専制的で抑圧的行動をとる社会活動家の言動と似ています。


 私は「私的生活領域」も、「政治」や「経済」と同じように「社会システム」のひとつとして捉えることにしました。それは「生命の生産と再生産」を担う「生活」というシステムであり、その基本組織は「家族」となります。これに対して「経済」は「生活手段の生産と分配」を担うシステムであり、基本組織は「企業」となります。「政治」は「社会秩序の維持と基盤整備」を担うシステムであり、基本組織は「国家」となります。


 人間関係・社会関係では、「経済」では「金銭」・「政治」では「権力」を媒介とするものとなりますが、「生活」では「愛情」を媒介とした人間・社会関係が特徴となります。近代以前は「家族」が「経済」の活動も担い、「家族」が集まって形成される「地域」も「政治」の支配の末端に組み込まれており、「生活」も「金銭」や「権力」をめぐる関係に動かされていました。「家族」が「愛情」が媒介となるのは近代以降であり、まだ模索の段階です。


 つまり「生活」が「政治」や「経済」から切り離され、「家族」が「国家」や「企業」から自立したのは近代以降のことです。そして前近代の「家族」や「地域」のしがらみから解放された個人は、自分の意志・責任で「家族」を形成し「地域」での人間関係を構築することが求められるようになったのです。しかし「生活」を私的ものとする考えは、「政治」や「経済」だけのシステム改革を重視することになり、「生活」は放置されることになります。


 「政治」「経済」と「生活」の関係を正面から取り上げたのは「男女の性的役割分業」を批判した第二次女性解放運動・フェミニズムの主張です。しかしそれは「政治」「経済」の領域での女性差別を問題とすることで、「政治」「経済」への女性の進出を促進したが、女性が担わされていた「生活システム」の弱体化を促進することになります。それを表したのが次の図ですが、一部のエリート女性の社会進出によって「政治」「経済」の肥大化が促され、男性の家事・育児への協力の遅れ・「女女格差」の拡大が示されています。

父ブログ女性の社会進出と生活システムの弱体化

 妻が障害者となり介護を始めた頃と比較すると、「政治」と「経済」からの支援は飛躍的に強化されています。「公助」「共助」によって「自助」「互助」としての「家族介護」の負担は大幅に軽減されました。しかしそれは「介護」における「家族介護」のレベルアップ、「介護」による家族間の「愛情」の深まりには繋がっていません。「家族」や「地域」での「助け合い・支え合い」の機能は低下したままであり、それが促進されているのです。


 「地域の絆を福祉が壊す」という言葉が密かに囁かれています。団地の朝はデイサービスの送迎車が多く集まり、昼間には以前のような高齢者間ののんびりとした会話は見られなくなっています。それだけ「地域」の「絆」は無くなっているのです。やがて「家族の絆を介護保険が壊す」という言葉が登場するかもしれません。「家族介護」が消えてなくなり、介護は全て施設でおこなわれるようになるかもしれないのです。

 今日、政府与党と対立する勢力は「レベラル左翼」と呼ばれていますが、「介護」において「公助」だけを要求するのが「左翼」であり、それによって「家族介護」の負担を免れようとするのが「レベラル」となっています。私たちが若い頃に自分たちを拘束した「家族」「地域」は否定されるべきですが、「生命の生産と再生産」を担う「家族」は新たな形で構築されるべきです。それを社会変革の運動で提起すべきですが、その兆候は見られません。

 フェニズムの主張の多くは古い家族制度の否定・解体を叫ぶだけであり、「愛情」を「男性による女性の支配・抑圧の手段」として糾弾している論者も出ています。私が勤めていた大学においても「愛情」にふれるだけで、それは学問の対象ではない、科学ではない避難される状況でした。それは「生活」を「私的生活領域」とみなし、「愛情」の科学的な考察や分析をおこなうことを拒否してきたからです。

 本来「左翼」がめざすのは「国家が死滅・消滅した社会」であり、それは「愛情」を媒介としない人間・社会関係の構築となります。実際、人間は「他人の役に立ちたい」という本能的な欲求を持っており、それを「リベラル」な思想で尊重・重視すべきです。私は「左翼リベラル」の「権力主義」と「自己中心主義」に失望し運動から離脱しましたが、「家族」「地域」での「愛情」を媒介とした人間・社会関係の構築には生涯取り組むつもりです。

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