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【父のつぶやき】妻・瑞穂との暮らしを振り返って(その1)

 2020年4月9日、妻・瑞穂は五回目のくも膜下出血を起こし、左半身に加え右半身にも麻痺が広がり、しゃべることも出来なくなりました。医師より回復は困難と言われ、一カ月の入院後、退院して入所していた特別養護老人ホーム・晃の園で「看取り介護」されることになりました。第一回の出血から43年、前回の出血から10年経過しています。

 妻・瑞穂は私と出会った56年前から教師になることを目指しており、教師となってからも、それに喜びを感じ全力で努めていました。しかし、病気によって教師を辞めざるを得なくなり、新たな生きがいとして児童文学や俳句などに傾倒しましたが、それも病気によって満足のゆく成果を挙げることが出来なかったようです。

 しかし妻・瑞穂は病気との闘いにおいて、私たち家族に様々なことを教えてくれて残してくれました。そこで私たちが学んだことを書き記し、これまで瑞穂を支え励ましてくれた皆様に伝えることは、家族の責任であろうと考えています。もちろん家族の想いはそれぞれに異なるので、夫である私が妻との生活の中で学んだこととして、皆様にお伝えしようと思います。

「延命治療」を考える

 「延命治療」について私が考えるようになったのは、病院で妻の母に付き添っていた時です。点滴がなされていたのですが、妻の母は痰が絡んで苦しそうにしており、その度に看護師団が吸引してくれていました。しかし時間が経つにつれて吸引の頻度が多くなり、十数分に吸引されるようになりました。その度に妻の母は苦しそうに涙を流しています。言葉も発せられない状況下で、私は胸が締め付けられる思いで見守ることしか出来ません。

 この点滴が終わるまで五時間かかると言われ、家族が付き添うように言われていました。苦しむ妻の母を見かねて看護師さんが「この点滴は食事が出来なくなったからであり、家族がやめてくれと言えばやめることが出来ます」と教えてくれました。私は治療の一環と思っていたので、そうでなければすぐにやめるようにお願いしました。医師に問いただすと、その通りで病名も分からない。「老衰だろう」ということでした。

 「治る見込みもない」と言われ、私は医師とは患者を助けてくれるのではない・苦しめているだけではないか腹立たしく思いました。医師から入院して点滴をするか、入所している特別養護老人ホームに帰って「看取り」をしてもらうか、選択を迫られました。私は即座に、これ以上妻の母を苦しめたくない「看取り」をお願いしました。特養から職員がやってきて、妻の母を優しく抱き上げ背中をさすってくれると、すやすやと寝始めました。

 それから暫くして妻の母は特養で息を引き取りました。早朝、特養から「おばあちゃんの息が止まっている」という連絡があり、駆けつけました。妻の母の死に顔を見た時、本当に幸せそうな顔をしていました。こんなに安らかに死ねるのであれば、死ぬことも悪くないなと思ったほどです。90歳を超えており、「老衰死」でした。「看取り」を選択してよかったと思いました。

 私の母も、昏睡状態になり、医師から胃に穴をあけて栄養を注入する「胃ろう」をするかと問われ、兄弟で相談して「胃ろう」だけはやめるという判断をしたことがあります。いろいろと調べてみると、欧米ではほとんど病院や高齢者施設で「胃ろう」はやらなくなっており、日本だけが多いということを知りました。その後、日本でも厚生労働省が「胃ろう」に対する点数を下げると、一挙に「胃ろう」する病院が減ったそうです。

 これまでの医療は患者の命を一分一秒でも伸ばすことに集中し、患者の苦痛には多くの関心を払わないことを知りました。医療にとって「死は敗北」であり、それを避けることだけに努力してきたようです。しかし、どんなに治療しても人間は「死ぬ」のであり、人間らしい・その人らしい「死」を模索する動きが日本でも始まりました。私も、私の妻も、そのような状況になれば「延命治療」は拒否しようと考えていました。

 今回、妻が五度目の出血し、医師から治る見込みがないと告げられた時も、「延命治療」はして欲しくないと告げました。医師から正しい判断ですと褒められましたが、早速、鼻から栄養剤を入れている管を抜きますと言われたときは動揺しました。新型コロナウイルスの感染予防で3月から家族の面会も出来なくなっており、娘が母親と会えないまま「看取り」となることが嫌だったのです。

 全身まひとなり意識もない状況でしたが、妻の顔色を見る限りでは元気そうであり、鼻からチュウブを入れて栄養剤を入れている状態で時折、痰の吸引をしてもらっていましたが、妻の母の時のように苦しむ様子は見られません。痰の吸引の際は嫌がるそぶりを見せましたが、終わった後の安らかな寝顔を見ると、この状態であれば長生きしてほしいと思うようになりました。

 治療が終わり、退院を促されたとき、特養での自分の部屋に帰ることが許され、そこで経鼻管による栄養補給も出来ると伝えられました。しかし特養に帰っても、面会は許されません。しかし特養では、妻を受け入れ万全の態勢で支えてくれる準備を整えてくれたいました。しかし栄養剤を注入しても痰の絡みが次第にひどくなり、夜間に看護師がいない特養では限界があります。

 栄養剤を注入しても吸収できないようであり、手足の浮腫みもひどくなってきました。栄養剤の注入による痰の絡みもひどくなり、注入した白湯も吸収が出来なくなっており、それが手足の浮腫みとなっていると聞かされました。楽にするためには鼻からの注入を止めることも選択肢と告げられ、管を外すことに同意しました。私は、管を外す場面にも立ち会うことが出来ましたが、妻の顔は楽になったように見えました。

 こうして妻は「看取り介護」に移行しました。「看取り介護」とは、妻の母の際に初めて聞かされた言葉ですが、「あくまでも本人に苦痛を与えない・楽な状態を維持して安らかに死が迎えられるように介護する」というものです。必要であれば栄養剤や薬・白湯なども注入することになっています。妻の「看取り介護」に関わる人たちが頻繁に会議を開き、情報交換や対応について協議してくれています。

 6月に入り家族の面会も、週に一度・一人限り15分だけ出来るようになりました。看取りの場合、一日ひとり一回15分となり、私が毎日、妻の顔を見れるようになり、娘も面会できました。何かがあれば電話で連絡してもらえるので、電話が鳴るたびにびくりとする毎日で、気が休まりません。しかし私の心の中では次第に妻の死を受け入れる準備が整ってきている気がします。

 「看取り介護」として特養の職員の人たちはいろいろな工夫をしてくれています。妻はコーヒーが好きだったので、せめて香りだけでもとコーヒーを入れて傍においてくれたり、茶葉の香りを出す香炉も置いてくれています。週二回の入浴もさせてもらっており、その後は本当に幸せそうな顔で寝ています。自宅で「看取り」をしようとすれば、このような手厚い介護は困難であり、特養の人たちには感謝しています。

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