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人生観や死生観は「深い」ほうが幸福なのか?

結論から言うと、私の"意見"は「Yes」だ。長くなりそうなテーマを簡単に書いてみる。
コレは多くの「深い」問いがそうであるように、一つの答えというものはない。私の人生観において、そうであると言いたいだけだ。安易に答えを出さず問いを掘り下げつづけることは優れた知性の形だと私は思っているが、知性に優れているからといってエラいわけではない。
こうした話題そのものが「深い」わけだが、このようなテツガク的なことに関心を持たずともヒトは生きていける。そして当たり前の話だが、「深い」ことを考える、たとえば「生きるとは?」「存在とは?」「時間とは?」といったことを一切考えない人間だって幸福に満たされて人生を終えることはできる。死という結末についてたいして向き合いもしないままポックリ死んでいった人間のほうが圧倒的に多いだろうと思う。
人間の思考の深度や強度でヒトの生に優劣はつけられない、あるいはつけたくない、という考えがまずある。
そのうえで、"人生や観や死生観は「深い」ほうが幸福だと思う"と言いたいおキモチが自分の中にはある。

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