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他人に関心がない人生はツラくなる

「欲しろ、さらば得られん」
どんなことでも、何か自分が欲すること、求めること、得たいものがあるのだとしたら、それを欲する強い気持ちを持つことが前提だ。
"好きこそものの上手"であるし、"欲望を持続する力こそ才能"でもあるし、目的や目標に近づくためにはそれを叶えたいという気持ちが燃料である。

真に自分が「それ」欲するなら、そこにいたる道筋・方法については失敗を繰り返しつつベターな、より最適なアプローチを自ら考えながら進めていかないといけない。欲する強さは手法を改善に導く。

たとえば恋人がほしいとかや結婚をしたいなどの話でも、さまざまなTwitter巧者()がいろいろと言うし、手段はたくさんあるけれども、欲する強さが足りないんじゃないか、と思うことが多い。
本質的に、他人に興味がないんじゃないか。

他人に興味がない人間でもカタチとしての関係を築くことは出来るけれど、 "エモさ"、向こう見ずな感情の発火で事故のように熱病のように「そうなってしまう」のが恋愛であり結婚なりの導入であることのほうが多いと私は思う。他人に興味がない人はエモくなれない。

もちろんエモれなくても他者と関わり人生の時間を築く、ということは可能だ。そしてエモすぎると互いを深く傷つけあったりするし、ほどほどにドライな人のほうが夫婦関係を安定的にうまくやれていたりもする。
しかしドライすぎると、言い換えれば身内になっても他者を自己の一部として自分に取り込めずにいると、けっきょくは自身の孤独と向かい合うことになる。
孤独"感"というものは、誰かといっしょにいることで解消できるものではない。他者を自分に融合させた人格をつくることで克服ができると思っている。意識するしないに関わらず。人間の親密な関係性における本質だと思う。そういう意味での、この表題である。

自分はエモくなれないし、じゃあどうすればいいのかと言われると答えはない。人がそうあること/そうなってきたことには深い理由や長い時間がある。
けれど自身を顧みて、内なる欲望がそんなに強くないのならば、無理をして得ようとしなくてもいいのではないかと思う。
本当にソレは必要か?私個人は、常に自問して決断をしている。

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