今日もあしたも、飲む。
僕は酒を飲む。ほとんど毎日飲んでいる。若いころから酒を飲むのは好きだったけれど、最近は異常だ。ここ数年、ほぼ、毎日飲んでいる。泥酔するまで飲むわけじゃないが、けっこう酔っぱらうまで飲む。しかも、ほとんどの場合、ひとりで飲む。
なぜこんなにもお酒を飲むようになってしまったのかというと、答えはひとつだろう、しんどいからだ。ではなぜしんどいかって?それは言いたかぁない。生きていれば誰だって多かれ少なかれしんどい思いをしているように、僕だって、いくつかの理由で、しんどい。
ではでは、なぜ、しんどいからってお酒を飲むのか?それはわからない。人類のほとんどの民族の歴史から何故お酒がなくならないのか、なぜお酒なんていうヤバい薬物が規制されないのか、ということを考察してみることもできるだろう。とにかく、ある種のヒトは、しんどいとき、お酒を飲んで、しんどさを緩和しようとする。言ってしまえば、弱い人間なのかもしれない。身体への害悪でしかないとしても、お酒を選ぶ。ストレスを発散したいならスポーツでもいいんじゃないか?という意見もあろうが、まあ、そんなこたぁどうでもいい。
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『桜桃』という太宰治の短編の私小説がある。
「子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。」 こうはじまるこの作品は、夫婦喧嘩の小説だ。子育てに忙しい奥さんの不満を耳にし、俺だってタイヘンなんだ、と夫は思う。子供のことを考えているのはお前だけではない、俺だって真剣に考えている。家庭は大事だ。けれど俺は、俺自身のことで精いっぱいなのだ、と心の中で愚痴を言う。この主人公は、言いたいことをハッキリと口にしない男だ。いつでも明るい雰囲気をつくろうとしてはあとで疲れ、議論をするのは嫌いだから黙ってはいるが、あとから怒りに震えてヤケ酒を飲む。鬱憤をヤケ酒で発散している。そしてある晩、妻からの、夫婦喧嘩の宣戦布告を受けて逃げ出し、飲みにいくのである。情婦みたいな女のところへ飲みに行き、今日は泊まっていくぜ!と言う。まあ、なんというか、どうしようもなく"太宰さん"である。小説は、飲みにいった先の描写で終わる。
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