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貧困中年男性にならなかったボク

「就職氷河期世代」「ロスジェネ世代」、おもに30代後半から40代後半の貧困男性が、社会問題としてクローズアップされている。これは突然話題となったわけではなく、だいぶ前から危惧されていたことであり、ほぼ全期間において不景気だった平成という時代の大量の"犠牲者"が、とうとう誰の目にもつくように、社会のオモテに出てきた、という感じだ。
事実認識として、あえてハッキリ言えば、世の中から「貧困中年男性」という存在は見捨てられようとしている (付け焼刃の政策も出てきてはいるようだが・・)。オッサンの大半は汚らわしい生き物かのように貶してもいいという風潮はまちがいなくあるし、そこに「貧しい」が加わると、"自己責任"とか"社会のお荷物"のように言われる。「貧困中年男性には安楽死を」みたいな声が、当事者たちから聞こえてくることもある。この世代が高齢化していく未来は、深刻どころの騒ぎじゃないと思う。
じっさいのところ、僕自身も、彼らが優先的に救われるべきかと訊かれたら、「うん」とは言えない。たいていの男は、男に厳しい。
ココではこの社会問題について考察するということはしない。いま、世間には既に多くの分析がある。モロにその世代の一人として、すこし自分のハナシをする。なんだよ「俺スゲー」ってことかよ、と言われても、まあ文句はない。あと、女性のハナシはまた少し別なので触れない。

このエントリは末尾だけ有料になっていますが、書きたいことは無料エリアに99%書いたので、べつに買わなくていいです。

以前有料文章で書いたので省くけれど、僕は18歳のときに父が経営していた会社がつぶれて、けっこう大変な目に遭った。それが原因とは言いたくはないが、僕は18以降にグレた。バブル崩壊期、1992年だった。グレたと言っても盗んだバイクで走り出したわけじゃない。フリーターになった。登山にハマったのをキッカケに山小屋で働いたり沖縄の離島のサトウキビ畑で働いたり、そこから10年ちょっと、いろいろやったが、圧倒的に、文句なしに、「根無し草」だった。18のときに大きく揺らいで変容した僕の人生観は、それで良いと思っていた。それでじゅうぶんに人生が愉しかったし、将来のことを真剣に考えるのは「あとまわし」にしていた。

あのころの社会の空気だが、体感としては、バブルが崩壊して日本の景気が悪くなっていっているのに、世間はまだ「暗い」感じがしなかった。80年代というお祭りの余韻が残っていた。「フリーターという生き方」を、本気で肯定している人が大勢いた。いま「貧困中年男性」になっている人たちの中には、この、僕のようなタイプの人間も大勢いるのではないかと思う。もちろん一生懸命に就職をしようとして失敗をくりかえし、"非正規というフリー"という道しかなかった人もたくさんいるだろう。とにかく、現時点から振り返ると、あのときに、「貧困中年男性」になる、大量の人間が"生まれて"いた。僕も「そうなる」はずだった。28歳くらいまで、毎月15万円くらいのアルバイト代で生活していた。しかし、僕はあるとき、ちゃんと仕事をしよう、と決意した。

実は僕は10代のころから小説家になりたいと思っていたが、それは30を前にして諦めた。才能がないし、小説家になりたいという目標に向かって努力するほどの意欲も実は無かった。後者を自覚したことが転機だったのかもしれない。ある小説家は「才能とは欲望を持続する力だ」と言った。ある意味ではそれは正しい。
それで、何を思ってたのかまるで思い出せないのだが、なんとかしないとと思ったのだろうか、派遣会社を通してIT関連業務に就いて、そのあいだに資格をいくつか取った。小説家になるための努力はなぜか苦しかったが、勉強をして知識が増えていくことの努力は苦にならなかった。ココもこの記事のポイントかもしれない。派遣社員を2年くらいやってから、ソレ系の会社に就職した。その直後くらいに、ケッコンして子供が出来た。というか出来てしまった。出来ちゃった婚だ。家族というものを背負ってしまった。コレで、「やる」しかなくなった。ここで差しはさんでおきたいのは、僕は「結婚する」ということが出来る男だった、ということと、子供を全力で愛することが出来る男だった、ということだ。自慢じゃないよ。自慢に聞こえてもいいけどね、ココも、ポイントだと思う。容姿はおそらく「フツー」で、コミュニケーション能力がフツーもしくはそれ以上だった。遺伝や生育環境によって作られた僕は、見た目も性格も、社会で生きていくのに不自由のないモノを持っていた。この文章にこのタイトルをつけた意味は、つまり"そういうこと"になる。持って生まれたモノ、育まれたモノに、あるていどは、恵まれていたのだ。・・スゲー感じ悪かったらゴメンね。

二児の父となった僕は、たいした努力をしてきたわけでもないのに(本当に)、しかし、なぜだかある種の人たちに評価されて、お給料をジワジワ上げてきた。郊外だけれど一戸建ても買った。そしていくつかの困難がありつつも転職をしたりして、いまは「もう転がり落ちはしないだろう」というところにきた。将来はべつにして、フローとしての、お金の不安は特にない。しょっちゅう書いているように働くことはほんっっっとうに辛いし、そのせいで心身がいろいろアレなったりしているけどね。とにかく、貧困中年男性ではない。そしてこの立場からこの問題について何か発言することには、もちろん抵抗を感じる。お前は「上がった」側の人間じゃないか、何らかの部分で結構恵まれていたんだろう、俺らの気持なんかわかるか、と言われたら、黙る。

お前は自己責任論者なのか、と問われたら、違うとは言いきれない。ある人間が陥ったある苦境の、どこからが社会状況が原因で、どこからがパーソナルな原因なのか、どうやって判別すればいいのかわかるわけがない。僕自身、若いころ不運に見舞われたが、けっきょくは恵まれていたのか、ガンバったからこうなったのか、そんなのはわからない。中年で貧困というのは、本当に生活もメンタルも大変だろうと思うし、少しでも政治や経済の力で貧困者を減らせたらと思うよ。思うよ、それは。でも思うしかできない。マジメに、コツコツと頑張ってみよう、と言ってみても、性格や精神の何らかの疾患などで「それこそが出来ない」と言われたら、返す言葉もない。
最初に自分のハナシだと言ったし、この文章はどこにも着地がない。もうしわけない。

もう少し自分のハナシをする。

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貧困中年男性にならなかったボク

こゆるぎさん

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