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スポーツのチームを応援することは最高だ。[雑記]

三大欲求以外では、僕にとって「サイコーなとき」は2つある。
「大好きなミュージシャンのライブに行って歌ったり踊ったりするとき」と、「大好きなスポーツチームの応援をしているとき」だ。共通しているのは、その最中には「自分が消えている」、自我が「場」に溶けて日常の思考のようなものがなくなっている状態、というところだ。映画を観ているときも本を読んでいるとき、つまり好きなことをしているときは楽しいのだけれど、僕のなかでは上の二つは特別だ。
最近は「大好き」というほどドハマりしているなミュージシャンが特にいないので、コンサート等で熱狂に自己を溶け込ませることは殆どなくなった。で、スポーツだと、僕はサッカーだ。イングランドのアーセナルというチームなので、もちろん試合を観に行けることは一生のうちに一度あればいいくらいだろう。生で観るのは厳しいが、映像で観ているときでも、「そこで行われている試合という場」に自己を希釈させて大興奮している。「我を忘れて」とは、まさしくこのことだ。

実は昨晩、僕の応援しているチームが負けた。負けると、すさまじく気分が悪い。戦っている選手や監督の皆さんには申し訳ないが、猛烈に腹が立つ。「なにしてんだよーー」とか「ざっっけんな!」とかいう醜い言葉が実際に口に出てしまう。2日くらいは、ニュース等は見たくなくなる。勝てば逆で、何度もゴール動画を観るし、ゴールだけでなく印象に残ったプレーをひたすら脳内再生するし、似たようなニュース記事を繰り返し読む。熱心なファンのブログを読み漁る。数日は気分がいい。だから感情が結果に左右される、という意味で、応援というのは良くも悪くもメンタルを不安定にする。

今のチームを本気で好きになって、15年近くなる。15年、(テレビで観戦して応援してるだけなのに)チームと苦楽を共にしてきた。そして愛は増すばかりだ。だから勝とうが負けようが、成績が悪かろうが運営方針がおかしかろうが、チームを嫌いになるということは一生ない。シーズン中は、毎週、試合が生活のリズムの重要事項となっている。オフの期間は選手の移籍情報に一喜一憂する。こんな感じで、僕はずっとこのチームを応援することで、楽しんで生きていける。
自分の生活、実人生の己の努力や怠慢なとど全く関係がないことに「自分を乗っけて」幸せを感じることは、少しも悪いことじゃない。そういうものを見つけられることは、僕は凄く幸運なことだと思う。出来ればロンドンに引っ越して、毎週スタジアムでお祭り騒ぎして老いていきたいくらいだ。

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