見出し画像

自分が"かつていた場所"に今いる人たちをバカにしないこと。

僕は性格上の醜悪な欠点はたくさんあるが、謙虚でありたいと思って心がけていることもなくはない。
そのひとつが、「自分が"かつていた場所"にいる人たちをバカにしないこと」だ。ちょっと書いてみる。

わかりやすい例を思い出した。たとえば転職。ステップアップ転職で僕たちの職場を出て行ったヒトを、彼のあとに出ていくことになった別の誰かの送別会に呼んだら、我々の職場を「下に」見て、嘲るような発言をした。彼が"かつていた場所"に"今もいる"我々は、勿論いい気はしない。
似たようなことはたくさん見る。
上記のように、何らかの「階層」において上に行けた人、
タバコや酒をやめることができた人、
ダイエットに成功した人、
精神的にツラい時期を乗り越えることができた人、
非モテや非リアを脱することができた人、
会社員をやめて組織から自由になれた人、
窮屈を感じていた国から窮屈を感じない国に移住した人、
などなど。

しかし、彼らの振る舞いが悪かというと、そうも言えない。誰だって「自分がより良い自分になれた」「自分がより良い環境に行けた」ことは嬉しいし、それを言葉や態度で表現するのはワルいことじゃない。やらないほうがいいのは、「自分が抜けることができたところに今いるヒト」を"ダメなやつだ"と言ったり、見下しているのがワカるような態度をとることだ。
自分だってかつては「そこ」にいて、苦悩したり堕落したりしていたわけだからね。
ツラい過去のことを忘れることは勿論あるし、なぜ自分のようにそこから抜け出ることが出来ないのか、と苛々することもあるだろう。

そこから脱することが出来たのは、本人のチカラかもしれない。しかしそれでも、"今、そこにいる人"がそこにいる事情は必ずしも自分と同じわけではない、と知ることが大事だと思う。チカラがないからそこにいるのかもしれないし、運が悪いのかもしれないし、複雑な環境が複合的に絡んでいることもあるだろう。
自分が乗り越えることができたり報われたりしても、残っている人たちがそこにいる理由はみな違うかもしれない、と想像することが出来ればいいのにな、と思う。

「実るほどコウベを垂れる」ことができるオトナでありたいと思うよね。僕は自分が全てにおいてそのように振舞えているなんて思っていない。けれど、心がけることは可能だ。そういうことは、自分の子供にも、しっかりと伝えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?