西部元教授の入水自殺に思う・・
死という言葉について考えると、この言葉は誰が話したかでいろいろ解釈が変わってくる気がする。
若いいころとか、学んでいる学生などにはおよそ、似つかわしくない話題だし、まだまだありえない将来のことと思っている。
しかし、そこそこ大きな病院などに訪れると、小児科という別の病棟があって、乳児から小児・幼児といわれる年齢の子供たちが、難病と闘っている姿に出会うことがある。小児がんなどだったりするとすると、「なぜ?」そんな思いを味わう。何の罪があるのだろうとか、聞いたらいけないことを知ったような気がして、つらくなる。
そこにいる数人の小児の中には、最後まで病院を生きて出られない子供たちも存在するのだ。
人生長いことだけが幸せではない、かもしれない。しかし、夢を持って生きているとき、将来が見えないことはやっぱり不幸だ。21世紀後半には火星に行ける日が来るかもしれない。もしかしたら映画のように冥王星に行く人もいるかもしれない。そんな時代を見つめられないことは残念だ。
自分のことを言えば、子育て中は死を考えることがしばしばあった。今は死ねないと思った。少なくても子供が大学を出るまでは生きねばならぬと思った。人生長生きするようになったため、心臓病やら、がんという病を持つ人がふえて、今では3人に一人はがんだという。しかし21世紀の現在は、医学が進み、早期発見さえすれば、30年前とは違ってがんは恐ろしい病ではなくなったようだ。
子育てをしているころはあと〇年は生きなければ・・・そういった緊張感を常に持っていた。地域の健診センターに2年に一度は通い、親の代からの家族病である胃がん健診を受けたものだ。健診センターの医師によると、2年あれば、早期発見の可能性が高いと聞かされていた。乳がんを疑われたこともあって有名大学病院の専門病棟で、検査を受けた。
ようやく大学卒業が射程圏内に入ってきたころ、健診センターに行くのはやめた。もう大丈夫だ、何となくそう思った。
そこそこ人生を乗り越えて、子供も成長して、定年退職したような年になると、生きることはまた違う意味を持ってくる。生活も、頑張ってきたんだから少しくらい人生を楽しんでもよかろう・・・などとおもうようになる。
具体的に致命的な欠陥を持っていればともかく、そうでなければ、まあ、まだまだ人生を楽しもうなどと思うのだろう。むろん健康な体を持ってさえいればこその話ではある。
ベッドに寝たきりであるとか、管を体中に巡らせて生きていても、人生は楽しめない。
人間は願って生まれてくる人はいない。死ぬときは自分で選べない。あと少し時間があればと願うこともあるのだろうが、自分の意志で選択できる人は現在の医学では存在しない、自由に叶えられることではない。
世の中で認められ満足した人生を送った人は、自由にできない体を持て余したとき、どのように考えるものだろうか。西部元教授は東大教授となり、政治経済等の幅広い分野で認められ、TVで論客ともてはやされて、はたから見ると成功した羨ましいような人生を過ごしてきたように見える。80歳近くになっても頭脳は明快で、説得力のある語り口はわかりやすくて、聞く人を飽きさせることがない。
78歳で多摩川で入水自殺を敢行した。いくらか体力的には衰えていたようだが、教授の影響を受ける人々から見たら、まだまだ日本の中に君臨していてほしい存在であり、惜しむ声は引きを切らない。周囲のそんな声よりも、自分自身を振り返るとき、どこに限界を感じたのだろうか。
ホーキンス博士と比較するのもおこがましいが、ALSを患いながら、死ぬまで宇宙物理学を研究し続けた生き方は尊敬に値する、どころか完全に脱帽だ。ALS診断を受けたのは21歳の時で余命2年と宣告されたのだ。
車いすでないと身動き一つできないホーキンス博士に比較すれば、いくらか不自由とはいえ自分の身で、行動の選択のできる西部元教授には、別の事情があったのだろうか。
人の生き方は自分がその立場になってみないと理解できないのは百も承知とはいえ、TV画面で自分の意見をいかんなく発揮できる能力を持っていた元教授の自殺の本当の原因とは何だったのか、疑問符がなくならない。常々他国から押し付けられた憲法を抱いている日本国に不満があることは知っていた。それが一因であったのだろうか。私は教授のファンだった。
欧米には尊厳死、安楽死などという言葉は存在し、意思を示す人もいるし、積極的に議論されている。法律が作られている国もある。日本にはまだないし、そんな言葉を簡単に言ったら拘束されてしまいそうだ。
しかし、食欲のない老人に、食べないと倒れるから食べろ、心臓が動いている限り生きろという原則はそろそろ見直しても、よくないだろうか。少なくとも生き方という根本問題について討論してもよい時代ではないのかと思う。日本の昔話で姥捨て山という物語が存在するが、過去の人間のほうが人間の真実をとらえていたということだろうか。
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