虚栄

この文章はiPhoneのメモに下溜めている。本来であれば、スマホではなくPCで入力すべきなのだが、発信の大半をツイッターに依存していた私にとって、PCで文を書くよりもスマホで書いた方が書きやすい。とここまで書いてなんだけれど、そんな訳がない。娘が眠っている真っ暗な寝室で、無音でフリック入力して書いている。冷静に考えると滑稽な姿だ。35歳のヲッサンが真っ暗闇の中、ダークモードの画面に向かって白い文字を何の考えもなしに入力している訳である。50年前の人間が私の横にいたとすると、きっと驚くとともにガッカリするだろう。それほどに傍から見ると滑稽な姿だと思う。

テクノロジーの進化によって、我々は奇妙な行動が当たり前のものとなっている。電車に乗れば、多くの人はスマホの画面をずっと見ている。スマホのない時代はどんな電車内の風景だっただろうか。うん、忘れた。少なくともその当時を思い返す必要性も感じなければ、スマホが宜しくないなんてそんな誰かの言葉を借りる野暮な真似はしない。

私は毎日毎日ツイッターで140字いっぱいに自分の存在価値を詰め込んでは、いいねやRTの数になんだか酔っていたそんな哀れなヲッサンだ。この文章にビジネスとしての示唆や、有益な発信を期待して読んでくれる人がいるかもしれないが、その期待には一切応えることができないことを申し添えておく。これは、所謂、便所の落書き。特に意味もない文章である。

では、なぜこんな文書を書いているのかと言えば、言語化が難しい。極力、ツイッターでつぶやかないようにと意識すればするほど、アウトプットしたくてしょうがないからとしか言い様がない。活字中毒のようにインプットしたくてしょうがないの逆バージョンとでも言うべき症状は、恐らくツイッターを長年やり過ぎた後遺症とでも呼ぶべきものだと思う。知らず知らずにうちに言葉を脳内で留めておくことが苦手になってしまったようだ。これは困った話で、文字が脳内から無限に湧き出てきてしまう。つまり、脳がイカれてるということだ。

私は、一応公認会計士・税理士でもあるので、専門書を読むのが好きだ。いや、やっぱり専門書を読むのは好きではないが、自分の知らない知識をインプットできると嬉しいなって思う。しかし、残念ながら十数年コツコツやっていると、どんどん新たな刺激をくれるインプットはなくなってくる。仕方がないなで、他の分野にどんどん進んで、自分の知らないアハ体験を求めては、無駄に本を買って目次を見る。何が書いてありそうかを予想して、目次でここは面白そうだなと思ったところだけ読む。感度が良いと効率的に自分の知りたかった、まだよく分かっていなかったところにアプローチ出来て、すごく嬉しい気分になる。そして、ペラペラと全体を流し読みしては、カネの無駄だったなと後悔する。

なんとなく自分は人よりも能力が高い気はしていた。会計士になって1年目は酷かったが、それ以降は少しずつ評価は高まり、監査法人を辞めてからはどこでも褒められた。沢山の人にすごいすごいと言われてきたし、客観的に見ても、恐らく日本で数少ないキャリアを歩んできたと思う。しかし、それで終わった。35歳という若さにして、恐らく私は燃え尽きたんだと思う。

とある出版社の社長に就任するか否かを決める時、PEの方に、この案件が上手くできれば、どんな案件でも君は何とかできると言われた。確かにそうだ。ここまで拗れて難易度の高い案件は、そうそうないだろうと感じた。そして、その案件は無事Exitした。しかし、その後に想像していた世界は全然違っていた。ガンガンPEでディスラプト案件をやっていく未来を当初は考えていたが、私は抜け殻みたいになってしまった。とてつもなく難しいゲームをクリアした後の喪失感は非常に大きかった。何とかその隙間を埋めようと無理やりねじ込んでみたものの、やはり何かが満たされない。プログラミングを独学で勉強してスマホアプリなんかも作ってみた。しかし、満たされることはなかったし、そのスマホアプリも不発に終わった。

この文章はオレすごいとアピールしたい訳ではない。あなたが私のことを凄いと思おうが、凄くないと思おうが、そんなことは私にとってどうでも良い。そもそも他人に評価されるのは嫌いだ。他人に私という人間を分かって貰おうと期待していない。ただただ、私はこの先どうすれば良いのか、自分でもよく分からなくなっている。これが1番の問題で、それを吐露することで、細く細くなってしまった平均台を渡っている自分の自我のバランスを保っているだけだと思う。

残された時間はそう多くない。どんどん歳をとっていき、昔のような気力もなくなっているように感じる。努力によって達成できる高みは、この先にはないように感じる。この状態はなかなかに苦しい。私はモルモットのように回し車をひたすら回すことだけが存在価値だったのかもしれない。しかし、一旦、回し車が止まってしまうと、どうして自分はあんなに必死に回し車を回していたのか理解出来なくなる。同じ人間にも関わらず、急に価値観が変わってしまったようで、しかしながら無意識のうちに回し車を回したくもなり、非常に複雑な心境だ。

どうすればそれなりに稼げるかは知っている。土俵選定がほぼ全てだ。どれだけ優秀・有能であっても、土俵選定がアホだと稼げない。そんなことは素人であっても言えることであるが、素人と私の違いは明白だ。私はその言葉で他人の人生を左右することができる。言葉を人の心に刺すことができる。これは私の天賦の才能だと思う。素人にはそれが出来ない。

ここでこの文章のタイトルに戻って欲しい。この文章のタイトルは「虚栄」だ。意味をご理解頂けただろうか。もしこの文章を読んで、私の書いている文章を信じ込んでしまった人間がいれば、よく考えて欲しい。あなたは私のことを何も知らない。世の中には嘘つきが沢山いる。話を盛っている人間も沢山いる。凄い人然とした雑魚も沢山いる。私はどっちなんだろうか。それはあなたが勝手に決めればいいし、私は知る必要もないが、安易に人の書いた文章を受け入れるのは止めた方が良い。こうやって記載されている内容をそのまま受け入れていると、情報商材屋やマルチにひっかかる可能性もある。綺麗な言葉や感情を感じる言葉の裏側には、その人の意図があることを忘れないで欲しい。

あぁそうだ、肝心なことを書き忘れていたが、この文章はPCで書いていた。

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