樋口陽一『戦後憲法史と並走してー学問・大学・環海往還』(2024)読書メモ

東北大学・東京大学にて憲法学者として活躍された樋口陽一先生の人生を振り返る本書。蟻川恒正先生が聞き手となって書かれています。

第一部が、時系列に人生を振り返るパートで、第二部が、憲法研究者としてどのような問題を扱ってきたのかを語るパートです。

第一部は、Iが戦前・戦中・敗戦後の子供の頃、IIが学生時代・研究者時代を含む東北大学時代、IIIが東京大学への移籍以降の話、と三つに分けられています。Iでは、旧制仙台一中に入るつもりが、学制改革により、六三制となり、「文字通り忽然とできた新制中学」(22頁)に入ることとなり、一年次上なら旧制仙台一中・新制仙台一高にて6年間過ごしていたはずが、「いわば三年間待たされ」(4頁)ることとなったとの記載が、戦後の学制改革の有り様を伝えていて面白い。その新制中学で過ごした三年間について、樋口先生は「全然知らなかった「世間」との接点をつくってくれた友人たちには、感謝しています」(24頁)と総括しています。

IIでは、大学進学以降の仙台時代が語られますが、仙台一高にてドイツ語を学んでいた樋口先生が、東北大学法学部に進学すると「フランスというfemme fataleと出会う」(29頁)。当時の東北大学は、「中川民法、木村刑法、清宮憲法」の「御三家」時代。57年に大学院に進学し、60年から62年までフランスに留学し、帰国後博士論文の書いて、64年よりフランス法の常勤講師となり、65年に東北大学の助教授となります。当時、中川先生が世代交代を提案し、御三家から「民法三羽烏」(幾代・鈴木・廣中)の世代に移っていました。憲法については、清宮先生は留学中に定年退職し、65年から憲法講座には、小嶋和司先生が着任されていました。

IIIでは、東京大学移籍以降のことが語られます。まず、なぜ仙台を離れたかについては、「簡単でない経過を乗り越えて、このお三方(※小林直樹、芦部信喜、伊藤正己の三先生)を中心とした恐らく何人かの方々がなさった決断に、応える決心をしなくちゃいけない」という思いと、仙台という「母胎の中の羊水にひたっていてよいのか」という思いから、80年10月に移籍をされたと語られています(68頁)。ただ、その後同世代の移籍が続いたことから、「結果的に私が引き金を引いたような責任も、追加的に感ずることにな」(69頁)ったようです。95年に定年退職後に上智大学へ移り、2000-05年までは早稲田大学の特任教授として働かれます。特任教授は「大学行政にかかわる一斉の義務を免除されながら専用の教授研究室と研究費や旅費を提供されるという、大変ありがたい立場」(115頁)だったとのこと。

第二部のIVが「個人・人権・公序」、Vが「規範・権限・象徴」という表題です。
IVは、1970年の杉原・樋口論争に関係する「主権と人権論」から始まります。1970年公法学会報告においては、「満足な問題の出し方でなかった、という自己批判」(168頁)をされており、その時点で、主権と人権の「同時成立の論理」の萌芽はありつつも、明確に打ち出せていなかったとしますが、その後、主権の成立によって「個人」が析出されてくる、という樋口憲法学の非常に重要なポイントが深められていきます。この点は、現在の整理でいえば、「(主権)の発動を一回的なものとして凍結し、宮沢の言う根本建前として封じ込めることによって、「解放の魔力」から解放された近代立憲主義の場が成り立つ」(176頁)ということになります。79年に出稿したNHK大学講座『近代憲法の思想』がこの点を自覚するのを促したというお話も大変興味深いものがあります。

IVは、次に、人権と公序の問題を扱います。69年に始まる岡田与好先生による営業の自由論争に発端をもつ「国家による自由」に関するものです。そこであぶり出されたのは、「独占する自由と反独占の自由の対比」であり、一般化すれば、「したいことをする自由と、自由の空間を確保するための公序の対比」ともいえます(184頁)。これは、信教の自由と政教分離でも同様の構図があり、教育の自由と教育の公共性に関しても同様です。
なお、経済的自由に関する二重の基準論については、第二次世界大戦後の福祉国家的な国家観と合致していたが、90年代以降の憲法プラクシスではそれが逆転し、ネオリベラル的な政治観が広がり、もはや精神活動の自由を制約していく「イリベラル」とも結びつき、逆二重基準の方向につながりつつある、という見取り図が示されます。

Vは、基礎理論的・統治機構的な問題に関心を移します。まずは、東北大から80年代前半にかけて、樋口先生が、宮沢先生の理論学説・解釈学説の二分論を踏まえた上で展開された「学説の両面機能性」についてです。美濃部の国家法人論・天皇機関説、そして宮沢の国民主権論・八月革命論もそのように理解できることが語られます。

次に、「国民主権+市場原理 vs. 個人+中世立憲主義」という点について語られます。一方に、国民主権と市場原理のセットがあり、他方に、個人の尊重の原理がある。そして後者については、「個人が近代=1789年の原理だとすれば、それが危うくされたときの抵抗の楯となるのが中世=1215年の原理」という図式(222頁)があります。両者は相補的でありつつも、緊張関係にあります。樋口司法論などもここで振り返られています。

補章には、『国家と自由・再論』に含まれる論攷、「学説の「一貫」と「転換」」が再掲されています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?