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見えない引力と見えてくる底力 〜生徒と教師が切り拓く「成長」ロード〜

あなたの言う「真面目」って何?当たり前は真面目ではない


 よく人を評して「真面目」と表現することがあるが、一体「真面目」の定義は何なんだろう。一生懸命に授業に取り組むことだろうか。清掃を誰よりも一生懸命行うことだろうか。大人の言うことをよく聞くことだろうか。
 私の考える「真面目」は自分の気持ちに対して素直なことである。勉強したくない人が勉強しない。別に不真面目ではないし、みんなで使う教室の清掃をみんなで協力してやっているのに一人だけやらないことを良しとしているのであれば、やらなくても不真面目であるとは思わない。ところが、必要であるにもかかわらずやらないとかみんなに対して申し訳ないなと考えているのにやらないということがあるのであれば、それを不真面目というのではないだろうか。真面目かどうかというのは人が判断するのではなく、自らの判断基準であるような気がする。みんなを笑わせようとして、自虐的におちゃらけた芸をしている人は真面目じゃないのか。人が判断するものではないと言いながら私見を述べるなら、「みんなを笑わせよう」というサービス精神を持っているところが真面目要素そのもののような気はする。
 今現在、自分の不甲斐なさを感じてはいるが、うまく自分で表現できなかったり、悪いと思いながらわざと反発してみたりしている人に告ぐ。「自分で不甲斐ないと感じている」「悪いと思っている」その気持ちがあるだけで君たちは「真面目」なんじゃないかな。でも判断するのは私ではない。あなたが本当に自分の気持ちに素直になっているかどうかだと思う。うまくいくいかないは二の次。過去の自分、今の自分、将来の自分の気持ちに対して素直に向き合ってみよう。「真面目」な人には必ず支援者が付く。一人で抱え込まず、じっくりそういう人たちの力を借りてでも前に進んでいければ、君の自分の気持ちに素直なところがもっとたくさんの人の気持ちに寄り添えるようになる。頑張れ。

正しい努力って何?まずは行動を起こせ!


 自分が求めるものを手に入れたいときに必ず必要になってくるものがたゆまぬ努力だ。さて、「努力」と言っても正しい努力とは?と聞かれたときに、君はすんなりと○○することだ。と答えられるだろうか。私は自信はない。頭にあるのは、求めていたものを手に入れる、達成するためにしてきたことが正しい努力ではないかということである。そんなことを言うと、「達成できなかったらそれまでしてきたことは無駄であった。適切な努力ではなかったのか」と言われてしまいそうだが、それは違う。求めていたものに対しては少し外れていたかもしれないが、それ以上にプロセス内においては間違ったことをしていない。結果には結びつかなかったかもしれないが、達成するために考え、時間を要したというプロセスがその人を大きく成長させる。試行錯誤という言葉があるが、試すということに間違いや失敗はつきもので、それがないと次へはつながらない。だからこそ大事なのは、自分で達成までのイメージを持って、まずは行動を起こすことだ。それが失敗に終わるのではないかと不安ばかりを抱えては、当たり障りの結果しか得られない。どうせやるなら時間と労力を要して、たくさん失敗をして、大きな成果をつかんでほしい。

「人のために」は大事 だからこそ自分を一番大事に


 「私は人のためになる仕事に就きたいです。」これは生徒との面談や面接試験などでよく聞かれる言葉である。この言葉に嘘偽りはないと思うし、こう思える人はすばらしいと思う。このような考えを持っている人へ伝えておきたいことがある。「人のため」ばかりを考えていては「人のため」の仕事はできないということである。「人のため」を考えるなら何よりも自分を一番に考え、自分を一番大事にすることである。理由は2つある。
 1つ目は、自分というのは一番よくわかっているのは自分であり、他人というのは思いやることはできるけど、すべてを理解することはできない存在であるからである。こちらの思いやりが人にとっては過度の負担になることがある。まず、自分でよくわかっている「自分」を人に置き換えて、物事を考える。自分が「これは嫌だな。だめだな。」と感じることはきっと人も嫌であろう。まずは自分の感じ方を確立しなくてはいけないのでしっかりと「自分」という存在を大事にしてほしい。
 2つ目は、どんなに相手を大事にしようとしても、自分の心身が健康でなければ、相手に対する判断も正確にできないだろうし、そのような人間に心を寄り添われても、人は頼っていいのかすらわからなくなってしまう。心と体の健康こそが何をやるにも絶対に大事である。ましてや、自分ではない人のために何かをしようとしたら、自分で何かをする倍以上のパワーが必要となる。健康でヴァイタリティーに満ち溢れているからこそ他人のためにパワーを注ぐことができる。自分に余裕があるから人のためにパワーを割けるといった感じであろうか。
 私が言う「自分を1番大事に」というのは人より自分優先ではないということは言うまでもない。パワーあふれる強い体と見識と思いやりに満ち溢れた潤沢な心を獲得すべく活動しているのが学生の時代ではないだろうか。

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