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14. 能見 篤史

※ただの阪神ファンではなく、能見選手が大好きな阪神ファンのため、意見に偏りがありますがご了承ください。以下長々たらたらと思い出に浸っております。とても長く感情的になっておりますので注意してご拝読ください。

2020年10月22日
いつも通りの二度寝から目覚め、会社へ行く準備をしていた。スマホを片手に歯磨きをしている最中、Twitterのトレンドに到底理解し難い文字が目に留まった。能見篤史、ノウミサン、戦力構想外…書いている内容の意味は分かったが、どうしてこうなったのかは理解できなかった。いや未だに理解はしきれてはいない。ふざけんなっ、まず出てきた感情はどうしようもない怒り。会社に行く気にもなれず家でプンスカ怒っていたが、そうも言ってられず車に乗り込む。通勤中渋滞に巻き込まれながら、改めて現実を確認する。能見 来期戦力構想外。球団はもう戦力として見てないのか。能見さんは引退という道は選ばなかったのか。能見さんは来年阪神タイガースにはいないのか。そんな事を考えているととてつもない寂しさに襲われた。ずっと、ずっと好きで応援してきた選手がいなくなると思うと自然と涙が溢れてきた。能見さんも今年で41歳、近いうちにこんな日が来るのは覚悟していたつもりだった。ただいざその時が来ると納得など出来るわけもなく、遣る瀬無い気持ちに駆られた。どうする事も出来ない気持ちを整理するために、運転しながら能見さんを応援してきた記憶を思い返していた。

能見さんは鳥取城北高校、大阪ガスを経て、2004年社会人ドラフト1位で阪神タイガースに入団した。中卒ルーキーの辻本とドラフト同期だったためドラ1の割には話題にならなかった。今では自分にとって特別な番号と思える14番は入団当初から渡された番号だった。(小ネタだが、阪神入団前の2002年にミスタールーキーという映画に阪神のユニフォームの背番号14をつけて出演している。)
自分は最初から能見さんの大ファンになったわけではない。入団直後はその他の阪神の選手と変わらない、ドラ1だから期待は大きいというくらいの選手だったと思う。自分が能見さんのファンになった試合、惚れた試合っていうのは明確に覚えている。それは能見さんが入団し4年経った2009年7月19日巨人戦。前年は入団以来初の無勝利でトレードの噂もある頃だった。その日自分は家族でイオンモールに買い物に来ていた。ショッピングに早々に飽きた自分は当時イオンにあった、多数の小さい画面がある無音テレビの前に陣取り、阪神巨人戦を見ていた。その小さな画面に映る阪神の投手が、小笠原ラミレス等が率いる強力巨人打線に相対していた。序盤から完全なる投手戦、惚れ惚れするようなかっこいいフォームからキレの良いストレートが投げ込まれる。テレビにかじりついていたが、親に連れて帰られる。帰宅してる途中に能見さんが降板したら嫌だ、そんな心配をよそに帰宅後も能見さんはマウンドに立ち続けていた。終盤まで内海との投げ合いが続き、両者9回を無失点。能見は被安打2の12奪三振。10回表に金本のタイムリーで先制し藤川が占めてゲームセット。この試合を見て当時14歳中3の自分は心を震わせた。阪神にこんなに良い投手がいるのか、それからは能見さんの先発の試合が楽しみで、なるべく観れるように急いで帰ったりしてたのを思い出す。まさにそれからと言うもの、阪神中心の生活のさらにその中心に能見さんがいた。それから能見さんも成長し、チームのエースを任されるようになった。何度も観戦に行ける環境でもなかった自分は、一度くらいは能見さんを現地で観たいと思うようになっていった。当時セリーグは予告先発制ではなかったため、狙った投手の試合を見に行くのは難しかった。そのため自分は開幕投手は能見さんだから開幕を観に行けばいいんだという結論にたどりついた。それが2012年3月30日、高校2年から3年に上がる春休みのことだった。人生初の一人旅で、大阪へ向かいガラが悪い兄ちゃんに声をかけてられながらも、大阪ドームまでなんとかたどり着き、初の能見さんをスタジアムで拝める事ができて嬉しかったのを覚えている。その当時の写真を下に載せる。三塁側から当時買いたてのiPhone4sで写真のため、手ブレやボケが酷いので厳選したが全部遠い←

他にも能見さんには色んな思い出が溢れている。2010年全盛期に走塁で足を怪我して8勝0敗で終える能見さん、笠原から初ホームランを打つ能見さん、マートンの語弊に合う能見さん、マートンがファールフライをとってタッチアップされてキレる能見さん、CSで渡辺謙を絶叫させるミノサンを奪う能見さん、巨人キラーだった能見さん、広島戦にも強かった能見さん、ドリス危険球から初セーブをあげる能見さん、巨人から7者連続三振を奪う能見さん、WBCで打たれる能見さん、杉内と奪三振王を分け合う能見さん、ラストエリクサー能見さん、色んな能見さんを思い出すたび、自分の青春は阪神能見篤史と共にあったのだと思い知らされた。

そんな思いを巡らせていると、ようやく会社に到着する。←
そこからはまた阪神に対する不信感と、阪神としても仕方ないのかという思いが交錯する。
不信感という点では、先日能見さんと同様に戦力外とされた福留選手(ドメさん)や去年退団した鳥谷ともども、阪神を支えてきた言わば功労者に対して自分で引退の時期くらい決めさせてあげて欲しかった。特にこのコロナという異例づくしで始まったこのシーズンで見切りをつけるのだけは辞めて欲しかった。本来の調整をして、本来の状況でダメだったなら本人たちも納得できただろうが、この状況で納得して引退しろって言われても無理があると思う。
また戦力外がマスコミにワザと漏らしてるのかというほど漏れていることである。ワザとであるなら本人たちに了承とってあるのか。戦力外をワザと周知して他球団が拾いやすくと考慮しているのか?ワザとでないなら、そんな情報管理体制の上層部のお前らが戦力外だ!とっとと辞めちまえと思ってしまう。
その他にも能見さんやドメさんの前に、もっと早く戦力外にすべき人達がいるだろうと思ってしまう。その人たちにもファンがいるだろうから名前は挙げないが、ドメさんも今年は成績が振るわないが、去年までバリバリに試合に出て勝負強さを発揮してきた。能見さんも去年は50試合登板、今年も30試合以上登板している。そんな彼らよりも、年齢が少し若いだけで1軍の戦力にほとんどなれていない30代や20代後半の選手たちが来年活躍すると思っているのであれば、正直呆れて物も言えない。さらに言えば様々な技術を明らかに持っている二人をこのような形で手放すことで、将来の指導者候補を手放してしまっていることを忘れてはいけない。金本を無理矢理辞めさせ、矢野がなったが、その次の候補を見渡しても掛布くらいしかあがらないだろう。岡田もう一度はドラフトと投手が死んでしまうので勘弁してくれ。能見さんは監督という感じではないが、ドメさんは明らかに候補だっただろうに。そんな選手に1年も待ってないような懐が狭い球団には、腹が立って仕方がない。お金を削るためだろうという人もいるだろうが、1億3000万と9500万で今年減俸であろう2人を削った所でたかが知れてるだろう。それに、未だに1軍で投げさせている投手に対して戦力外通告を出すことに非常に違和感を覚える。能見さんを2軍に落とすことも出来ない癖に来年は要らないって、戦力見る目大丈夫ですか?今日も能見さんは6球で1回無失点。まだまだ出来る姿を見せてくれて非常に嬉しかった。阪神さん、能見さんを追い抜ける投手を早く育ててくださいね。

ただ阪神の今の状況を見ると、鳴尾浜は若く期待のホープみたいな選手が少なく、育成の場としてほぼ成り立っていないのが現状だ。明らかに育成ではなく2軍の試合を回すだけのための様な選手もいる。そのため、大幅な血の入れ替えをするため、解雇人数を増やしドラフトで多く獲得する必要があることは理解できる。(ただこの2人ではないと思う。)もしも納得の出来ない様な戦力外選手数やドラフト獲得人数だったら、またぶち切れるかもしれない。阪神としても苦渋の選択をしたのだろう。あといつまでも二人が引退を決心しなかった場合、いつまでも抱える事が出来ないというのも分かる。ただ今年ではないと思う。

色々な思いが交錯して思ったのが、これから素直に阪神を応援できるのだろうかという点。もうここ10年近く能見さんありきの阪神として応援してきたので、それが突然なくなるのは不思議な感覚だ。しかし15年も応援してきた阪神をそう簡単に嫌いなれるほど、半端な気持ちで応援していない。好きな選手もまだまだ沢山いる。しばらくは能見さんくらい好きになる選手は現れないかもしれないが阪神を見ていこうとは思う。もちろん能見さんのことは今後どの道に進もうとも、ずっとファンでいようと思う。能見さん(1年目のみ)とドメさんと優勝できなかったのは悔しいが若い選手は間違えなくこの人たちを見て育ってきている。そんな選手たちが主力となって優勝を果たしてほしい。
そして残りの数試合、阪神タイガースの能見篤史をこの目にしっかりと刻もうと思う。

一つ願いが叶うのならば、あのワインドアップをもう一度、、

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