僕がuts1に入った話(表)

ここに書きたいことはどうしてuts1に入ったかという話で、そのためには中学時代から語らなくてはならないし、Twitterでは書くには長すぎたためnoteを選んだ。塾なし、高三の11月まで文化祭に熱心に参加してた僕の精神状態なんかももしかしたら後世の参考になるかもしれない。

小学生時代は某S塾で校舎トップを取り続けるいわゆる秀才で塾の宿題も学校の宿題も平然とこなす良い子だった。中学受験の最難関校であるTK(ツクコマ)に合格し、晴れてTK生となる。

TKの紹介を少しだけ。160人の学年の約半分が現役でutに行くといわれる中高一貫校。一方授業で受験に関することを扱うのは高3ぐらいで、あとは文部科学省の進路に従って楽しく授業を進めてる。自称進みたいなことはしないが多くの人が塾に通うことで高い合格率を保っている。高三の11月に文化祭をやる"すばらしい"ところである。(前にFランツイートで高三の二学期に行事なんかやってる高校はFランだからutには受からないみたいなこと書いてたお猿さんがいたな)

さて、待ちに待った中学生活。中一の頃、親に無理やり某T会という塾に入れられた。T会の決め台詞は「〇〇中学入学おめでとう。次は東大」だったはず。一年ぐらい通わされたが、講師と揉めて撤退。同級生でも通っていた人は多いだろうが、僕がその塾を嫌いになるきっかけである。その時に、塾への不信感を覚え、「もう二度と塾になんて通わない」と決意した。

冷静に分析してみると中一から塾に通うのはアホらしい。中三ぐらいで十分すぎるし、高一だってまだ早いと思う。当時某T会に行くからと言って行事関連の練習や作業をサボってた人々、本当によろしくない。

中二の頃の事件がきっかけで文化祭の責任者に興味を持ち、中三から高三まではかなりの時間を文化祭に費やした。母校の文化祭は十一月の初めで、その日を目指して数か月準備を行う。別の同好会の幹部も兼ねていて冊子の編集に追われていたので、本当に勉強時間がなかった(どうせやるつもりもなかったが)そして高二ぐらいの時にこう思った。高三の文化祭が終わったら受験勉強を始めよう。

しかし、普段の勉強を怠っていたわけではなく、中二~中三の頃は期末一桁や十何位を何回か取った。みんなが塾の勉強にかまけたりサボったりしてる間、授業中は真面目に授業を受けて期末でもそこそこの成績を取った。ちなみにこれは友人と競い合っていたからできたことで、その友人は僕よりもさらにいい成績を取り続けた(結局勝てたのは一度だけ)

これが高三まで続いた。高一高二はどうしても英語ができなかったりして徐々に期末の成績は落ちた。高三で行われた校内の模試的な試験の成績もどんどん落ちてしまいには最下層に。一方期末の出来は高2の後半からめきめきとなぜか上がり、高二の評点平均4.8、高三の評点平均5を成し遂げた。課題を出したり試験以外のところで頑張ったというお話もあるが、授業は真面目に受けていた。

#tkの授業は優秀なので塾に通わなくても東大に合格できる はこれが由来。受験指導的なものはスカスカなので本当は受かるわけはないんだけど、問題解決へのアプローチの方法とか、思考力とかいろいろなことが授業を通して学べる。学問というものを割と学べる感じ。受験勉強は特殊だといっても学問の範囲内だからぶっ潰せると踏んだ僕はこのハッシュタグを目指して頑張った。

そして夏休み一日8時間弱の勉強と12月中旬からの同じく一日8時間弱の勉強で合格することができた。

本当に塾というものが嫌いで、本来、大学は塾なんかなくても合格できるんだというプライドがあったから、どこの塾の合格実績にもならないようにした。

まあ結論から言えばプラス8点ぐらいで受かったので決して褒められた道とは言えないが、文化祭も同好会も高三の本当に最後までやり切って、最高の高校生活を送れたと思う。同好会も本当に大きくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?