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期待をしないということ

わたしは、ずいぶん前から“人に期待をしない”ということを言ってきたし思ってきた。
ただ最近、色々と考えるうちにその表現が適切でないことに気がついたので、忘れないように残しておく。
そこに至るまでの経緯もなかなか面白かったから後で別記事にする。
(カバー写真はコメダで焼いた団子です。サムネイル詐欺すぎる)

そもそもニュアンス的に、“期待をしない”ということと“頼りにしない”というのはわたしの中で全く別の意味を持っていて、後者に関しては少しも思っていない。何かあれば頼りになる友だちがたくさん居ると思って生きている。生きることができている。よろしくお願いします。

で、この期待というのは“信じる”という言葉に近いものを感じているが、わたしは恐らくその感情も希薄だ。だから、裏切られたと思うこともあまり無い。

信じるの反対側に“疑う”があると思うが、多分これは結構ある。厳密に言うと、あらゆるパターンを想像するという方が近い。だから、何が起きた時に「なるほど〜〜〜〜」と思う。たまに予想外のことが起きてビビるしへこむ。

でも、信じていないとか期待していないとかって表現、相手を悲しませてしまうことがあって、じゃあどうしたら前向きな変換ができるのかなーと考えてみた。

当たり前のことかもしれないが、“してくれたこと”や“言ってくれたこと”に対してはその言葉が機能するのだな。
相手がやったことのない、言ったことのないことを“してくれるかも”と想像するのは、信じることでも期待することでもなく、ただの妄想に過ぎない。

実際に相手が形にしてくれていることに関しては信じるし、期待する。そして、それが損なわれた時に初めて悲しんだり怒ったりすれば良いのかも。

もしかしてみんな既にこの感覚で生きているのかもしれないが、わたしはようやくそのことに気がついて腑に落ちました。またひとつ生きやすくなった。

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