僕は君のピーターパンだから

昔から女性アイドル曲が歌う、一人称『僕』の曲になんの違和感も抱かないでいた。某48アイドルの歌う曲はプロデューサーの書いた男目線の曲であることをのちに知るのだが、それでも自分はまだ、大島優子や前田敦子や宮澤佐江がポニーテールをシュシュでしばっては、君に想いを伝えられずにやきもきしているのだと思っている。君が斜め前にいて、その横顔を見る。ただの友達。ただの片想い。

僕という一人称。大森靖子は僕という一人称を使う。僕は誰なのか、君は誰なのか。男なのか、女なのか?

ネバーランドに連れて行ってあげるから。僕は君のピーターパンだから、もうこの手を離さないでほしい。誰が自分のそばにいてくれるだろうか?誰も自分のことは好きではないし、だから誰も好きじゃない。神様は自分で、ピーターパンも自分でやる。そしたら、誰が自分のそばにいてくれるんだろう。

バラバラになった劣等感を全部集めて握り固めれば、いろんな誰かの感情と共鳴できるのかな。今はスピッツが響かない。愛ができるひとのまっすぐな愛の歌はいらない。結局それは僕に向かった曲ではない。

でも結局この劣等感にも付加価値はないし、特別なものではないのだろう

いい大学とか気にせずに、君のこと好きだよ。

いい大学とか気にせずに、君のこと好きなんだよ。虚しい。虚しい。こんなにも好きなのに、誰にも届かない。自分に届かない自己愛は誰にも届かない。

無邪気でいたいだけで、屈託のない、純度100パーセントの空間で二人だけでいたいんだよ。君の胸に飛び込んで、全部ぶち壊してでも。

虚しい。誰かに共感してほしいだけなのかもしれない。

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