吉田進「演歌から《演歌》へ パリから見る日本の演歌 2」 講義のまとめと感想

慶應義塾大学文学部JASRAC寄附講座『音楽と現代社会』2002年10月28日

 演歌をテーマに、作曲家吉田進氏をお招きしての講義の第2回。今回は、吉田氏の作品《演歌》4曲(I~IV)について、作曲者自らに解説していただきました。前回の講義によると、演歌とは読んで字の如く「演じる歌」。具体的には、歌い手が歌詞の持つ様々な音楽的要素(響き、抑揚、アクセント、リズム等)を誇張しつつ歌の世界を演じる、という演奏のスタイルでした。このような捉え方に基づく吉田氏の《演歌》は、大衆歌曲としての演歌そのものではなく、演歌の演劇性を抽出・再構成した作品となっています。

 《演歌 I》、《演歌 II》はどちらもソプラノと9人の器楽奏者のための作品。吉田氏は、言葉と音楽をどのように出逢わせるかに焦点を当て、最終的に、演歌では決まり文句となった6つの単語をそれぞれ選び出しました。これを歌うソプラノがいわば主人公となりますが、サロン・オーケストラの編成を思わせる器楽もまた、言葉の意味を音画的に表現することで、歌手と共に歌の世界を演じています。歌詞がストーリーを理解できる最小限にまで切り詰められたのと同様、器楽も決して音が多くはありませんが、その分、音と音との「間」に存在感があり、非常に緊密で劇的な世界が築かれているように思いました。

 フランスの前衛作曲家オリヴィエ・メシアンは、《演歌 I》を「日本の能や歌舞伎、とりわけ文楽の持つ感情と表現主義に通じる作品」と評し、これを発展させれば本格的なオペラもできるはずだとアドヴァイスしたそうです。この言葉を受けて、《演歌 III ~袈裟と盛遠~》と《演歌 IV ~袈裟の良人~》(一対で《袈裟の愛 ~恋人たちへのレクイエム~》と呼ぶ)は、舞台作品へと発展してゆきます。

 舞台作品となると、それまでのように歌詞が6単語だけという訳にはいきません。《演歌 III》の歌詞は、それでも必要最小限に絞られていますが、《演歌 IV》では、ついに完全な話し言葉が採用されています。普通の劇と何ら変わらない台詞が歌われる《演歌 IV》を聴いて、それ以前の禁欲的とさえ言える歌詞の分量との差に私は初め戸惑いましたが、音楽をよく聴いてみると、やはりそこには、それ以前に培われた、演歌に由来する音楽語法がしっかりと根付いていることが分かりました。

 演歌と言えば、日本人なら誰でも知っている、それでいて古臭いようで、よく聴く人は案外少ない音楽だと思います。ところが、その本質を再構成した《演歌》を聴く時、演歌が何と新鮮に響くことか、と本来身近な文化であるにも拘らず、カルチャー・ショックを受けました。

http://www.flet.keio.ac.jp/kifu/jasrac/class/20021028.html 掲載(現在閉鎖)。