鍵盤臺

南葵音楽文庫資料紹介 『南葵文庫附属御大礼奉祝紀念館大風琴』

発行年不明。国立国会図書館所蔵 YK41-34。

 書名にある「御大礼奉祝紀念館」とは南葵楽堂を指す。南葵楽堂は、大正天皇の即位の大礼(1915(大正4)年)を記念して建設されたため、大正時代にはしばしばこの名称で呼ばれた。本資料は1920(大正9)年に南葵楽堂に設置されたパイプオルガン(風琴)を写した写真帖である。全25枚の写真には、オルガンの組み立て工事の様子や部品、パイプの配列などが詳細に記録されている。写真の構成は以下のとおりである。

「御大禮奉祝紀念舘」1枚
「大風琴荷造ノ到着」1枚
「大風琴組立材料ノ一部」4枚
「大風琴組立ニ用ヒタル各種ノ螺釘」1枚
「鍵盤臺」1枚
「鍵盤臺ノ背面」2枚
「大風琴配管前ノ外枠工事」1枚
「大風琴内部ニ於ケル送風線配線ノ一部」1枚
「大風琴中央塔」1枚
「大風琴組立後ニ於ケル内部配管ノ模樣」8枚
「竣成後ノ大風琴前面」1枚
「電動機上ニ据付クベキ大鞴」1枚
「電動機及廻旋扇」1枚
「運轉中ノ電動機」1枚

 南葵楽堂の設立者・徳川頼貞は、楽堂建設を決意したとき、すでにパイプオルガンをホールに設置する構想を抱いていた。南葵楽堂のパイプオルガンは、徳川頼貞のケンブリッジ留学時代の恩師エドワード・ネイラー Edward Woodall Naylor(1867-1934)の紹介で、リーズのアボット・スミス社 Abbott & Smith に発注され、その内容や型式についてもネイラーが監督している。

 日本でコンサートホールにパイプオルガンが備え付けられた例は、南葵楽堂が最初であった。パイプ総数1,379本、鍵盤3段、ストップ36個という竣成当時東洋最大であったこのオルガンは、ブロックフレーテのストップが「尺八」と記されている、ウィンドチェストに当時一般的ではなかったスライダー方式が採用されているなど、ユニークな点も多い。また、明らかに製作された時代の異なるパイプが混在していることから、注文を受けて新たに作られたのではなく、古い楽器を改造したものとする説もある。このオルガンは、関東大震災後、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に寄贈され、上野公園の奏楽堂に設置されている。

 なお、本資料『南葵文庫附属御大礼奉祝紀念館大風琴』は、現在の南葵音楽文庫には所蔵されておらず、筆者が調査したかぎり、国立国会図書館に1点の所蔵が確認されるのみである。写真帖に奥付はなく、部数や制作年は不明である。国会図書館の蔵書目録には1929年の発行と記載されているが、「南葵文庫附属御大礼奉祝紀念館」という呼称が用いられたのは関東大震災(1923年)以前であり、おそらくはパイプオルガンが落成した1920年ごろに、パイプオルガンの建造記録として作られたと考えられる。

画像1

『南葵文庫附属御大礼奉祝紀念館大風琴』より「竣成後ノ大風琴前面」


慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構『Oxalis――音楽資料デジタル・アーカイヴィング研究』第2号(2009年)、33頁。
転載にあたり、一部修正を加えました。