必要なもの、必要でないもの
自分にとって必要なものなのか、そうでないものなのかは実はよく分からなかったりする。リアルタイムで頭を悩ませ、ふるいにかけた答えであってもそれが正解だったかどうかなんて時間が経ってからでないと分からないものなのだ。
要は、そこで得られた経験が自分にとって良い経験値になったのかどうかが先に進む為の大事な要素になるのである。
良い経験というのは、これがまたリアルタイムでは判断しにくいもので、その場ではとても辛いものであっても長い人生からしてみれば判断をするという要素の中でとても役に立つ場合がある。
でも人は、出来るなら辛い経験、失敗はしたくないもの。
ではどうやって、今からチャレンジしようとしている事が良い経験になるのか判断すれば良いのか。
まず、多少の不安はあってもワクワクするものである事。
他人のネガティヴな感情を巻き込まないものである事。(自分勝手なものではない事が大事)
それを終えた時の自分をなんとなくイメージ出来、そしてチャレンジして良かったと思える事である。
チャレンジした後に、必ずイメージ通りの結果が得られるわけではないけれども、決してマイナスな後悔をしない事が大事で、やらなければ良かった、どうしてこうしてしまったのだろうと陰の思考を張り巡らせてしまうと自分の生きているステージは上昇する事なく、また同じ高さからのスタートを切らなければいけなくなる。
少し前の話。
とあるカフェで雑貨の展示販売をした。いっぱしの普通の主婦が、小さいカフェとはいえ展示スペースを埋めるにはとんでもないエネルギーと時間が必要だし、アクセサリーと雑貨だった為、1点に時間がかかる割に出来上がったもので展示スペースの間を埋めるには点数が必要となる。
そんな努力と気力を注ぎ込みいざ、展示期間が始まったのだが、お店側からお疲れ様や、ありがとうの言葉は一切なく、機械的な言葉しか頂けなかった。何時間で展示して、ゴミ持って帰って、撤去は何日ね。というふうに。
ただの壁の飾りのように扱われ(もはや見ていたのかさえ不明)あちらから誘われたお話しでお受けしたものだったのに、生活を削って何日も寝ないで作った作品達がお店の中でとても色あせて可哀想に見えた。
とても落ち込んだけれども、もうこことはかからわない、自分の相性の良いマーケットを見つけよというメッセージなのだと前向きな気持ちが湧き上がり次の制作への意欲につながった。
私がもし、場所を提供する立場になったら作家に対してその作品達に対して誠意を持って接しようと心から思った。高いもの、売れるものでなくても人が作り出すものは生きているエネルギーを孕むものだからである。
それらを無機質のものとして扱うのはナンセンスだと思う。
私は場所を変え、それらの作品を販売し続けているのが、ちゃんと気持ちを切り替えて前向きに向き合っているからか、良い出会い、良い場所に恵まれ気に入って頂ける人に恵まれる事が出来ている。
駄目だと思ったらそこで沼にハマり長い期間クヨクヨせず、場所を変え色んな方法を試してみる事がいかに大切かを改めて学ぶ事が出来た。
信じて、自分の実現させたい行き先をハッキリとイメージすれば紆余曲折あるかもしれないがきっと一筋の光が見つかる。暖かい人の出会いがそこにはある。
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