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危なかったと安堵する

常盤での煽り運転の事件で
同乗していた女性の本名が公開されず
ネット上で憶測が飛び交い、
全く違う人物が攻撃され、
被害者(勘違いされた方)が法的措置をとることにした、というニュースを見た。

煽り運転の事件のことは知っていたが
無関係の人が関係者だと勘違いされて誹謗中傷を浴びていたことを私は知らなかったのだが
心底安心した自分がいた。

なぜなら、私も一歩間違えば
叩いた側の人間になりうるから。

もちろん事件に胸を傷めたが
私自身は、その事件に物理的には無関係であり
誰かを攻撃する権利なんて持ち合わせていない。
しかし物理的に無関係であれど、いつどこで私が相手を攻撃する側の人間になるのか分からない。
ネット上での憶測に興味を持ち、間違った情報の拡散者になるかもしれない。

そうしないと心がけていても、やっぱりどこかで自分の正義を振りかざして
自分がダイレクトに攻撃されないことをいいことに、誰かを攻撃してしまうことがあるかもしれない。

本来ならば、知った上でその情報の真偽を確かるべきではあるが
自分で手間をかけて真偽を確かめるより
目の前の情報に飛びついて名探偵ごっこをしてしまうかもしれない。

そんな " かもしれない " は無意識にやってしまうものだから後になって反省し後悔し、また同じことをする。

だから今回のような場合も、やはり心の底から
「その時知らなくてよかった。」と安心してしまう。


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