うらやましいと思う
先日、東京に就活目的で10日間ほど行った。
結果として内定をいただくことはできなかったが
「ま、いっか」と思っている。だって無いもんは無いもん。
だけども企業との面談や、大人の知り合いの方、行った先で出会った人と話した中で得るものは大きく、それはまた別に書きます。
今回は東京でみたクレーン車がうらやましい話。
東京という街は主要な駅はほとんどどこかを工事していて、完成する気はさらさらなさそうだった。福岡にはない光景ばかり。(知りうる限り福岡の直近の最大の工事は7年前の博多駅リニューアルくらいだ)
だからこそ風景に変化があり散歩が楽しい街だと思う。
歩いても歩いてもダンジョンみたいなので昔ハマっていたゲームを思い出し、心の中でBボタンを連打して2段ジャンプをする。そうして心の中の私はビルの間を壁キックで登ったり、あっという間に遠くの建物に行く。
お、こんなところも工事中か。使っている重機が大物ばかりで見ごたえがあるな、と目の前のクレーン車の高さを確かめるために上を向いた。
”うらやましい” と思った。
こんなにうらやましいと思ったことは久しぶりだ。
数日経った今でも、この写真を見返しては、ほれぼれしうらやましいと思う。
そもそも私は重機が好きだ。
人間が動かしているのにまるで機械がひとりでに動いているようでついついじっと見つめてしまう。この鉄の塊が私たちの生活環境をつくってくれているのかと。
特にクレーン車が好きだ。基本的に大きく、人間の手の届かない高さまでニョキニョキ伸びるのがかっこいい。
他のクレーン車をみても ”かっこいい” という感情で終わっていたのだが、このクレーン車だけは ”うらやましい” と思った。
地上で広げられる人間同士のあれこれとは無関係な顔していることに腹が立ったのか
ビルが立ち並ぶ狭い空に張り巡らされた電線の遥か上から、堂々と存在しているその姿に憧れを抱いたのか
視覚を遮るものが周りにない特等席で、見事に晴れた空と地上の風景をみれるその悠悠自適さに寛ぎを感じたのか
どれかは分からないが、とにかくうらやましかった。
別にクレーン車になりたいわけではないが、レモンになりたいと言っていたアイドルを思い出す。
そのアイドルもどこかの瞬間でレモンをうらやましいと思ったのだろうか。是非その瞬間を聞いてみたい。
ちなみに私はクレーン車になるよりもクレーン車のてっぺんにビビることなく座り、街を見下ろし「来た…」と言って軽やかに飛び降りたい。まどマギのほむらちゃんのように。
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