海亀

違和感から混じり合わぬ世界を再編してゆく果てしなき旅。そして、ファシリテーターという仕事。

《マスを取らないと意味がない。》
そんな世界で生きている人がいる。
一部経済界においてはごく当たり前に映る言葉かもしれない。
 
《マス取ることしか頭にないのは
本当の教育サービスなんかじゃないのだ。》
そんな世界で生きている教員がいる。
一部教育界においては疑い無く受容される言葉かもしれない。
 
二つは混じり合わず現存しているけれど、
私はその両方を毎日行き来して、
一昨日は上の言葉を聞き、昨日は下の言葉を聞いては、
モヤっとした違和感を携えて、今日を生きている。
 
混じり合わない世界たちは、
いつだって互いに一線を引き合って、混ざらぬように
生きているように見える。
  
カテゴライズというものの恐ろしさを、
何の疑問も持たずに行使しながら。。
 
《違いは、ただあるもの。》
 
そこに《優劣の評価》が加わった時、区別や差別は生まれる。
 
多様性を真に理解するプロセスにおいては、
この感覚は避けて通れない。
 
今日の打ち合わせでは、そんな話。
 
経済界にも教育界にも全く関係ない
"人種"がテーマの打ち合わせだったが、図らずもリンク。
 
違う世界、まだ見ぬ世界。
それを実際に深く触れもせずまま《評価のくっついた言説》は
バイアスを肥大化させ、
カテゴリーごとの壁を厚く高くしてゆく。
その、愚かさと悲しさたるや。。
 
違和感は吐き出さないと、溝や壁は埋まらない。
 
《そんなことは私には関係ない。》
そういう声があちこちで聞こえてくるけれど。
 
それでもめげずに、私はやっぱりこの違和感を投げかけたい。
 
違いをもった世界が触れ合い、
手を組むことで生まれる素晴らしさを感じてきた人間として、
その事実をとある世界だけのものにしておきたくないから。
 
 
  
–––––––– 個人主義へ徐々に移行している社会の中で、
この壁だらけの社会を誰が繋ぐのだろうか??  
 
 
打ち合わせ冒頭に、教授からこんな素直な言葉に出会った。
衝撃的な一言でもあった。 
「"ファシリテーター"って仕事になるんですね。」
 
でも打ち合わせの最後には、こんな風に同じ教授が言ってくれた。
「何故仕事になるのか、今日少しわかった気がしました。」
 
確かに"ファシリテーター"という仕事の定義は
とても言語化が難しいけれど。。
 
領域の曖昧なふわっとした存在として、
違和感と向き合い続けながら
場をほぐして壁穴を探って
混じり合わぬ世界が予期せず繋がるキッカケを紡ぐ。
そういう役目も担えるのかもしれない。
 
世界なんて、海みたいに境目など無くて
泳げば泳ぐほど面白いものだという包括的世界観と寛容なメンタリティーで
新しい世界と出会い続けて、自分自身のバイアスも壊し続けていたい。

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