物書きでありたかった
ーーーまことに日本の夏は暑い。
生まれてこのかたこの国の温暖湿潤気候しか知らない体はもういい加減慣れても不思議ではないのだが、残念ながら暑いものは暑い。
あまりの暑さだものだからシャアが日本にいたらアクシズでも落として地球寒冷化をも目論むレベルだ。
だが現実にはシャアはいないしアクシズだなんて存在もしない21世紀。大人たちが子供のころに空想した2000年代の未来予想図のような光景は未だ無い。
しかしながら仮にアクシズがあったとしても夢想的で過激なインテリではない僕にとってはそんな大それたことを出来やしない。そんなことをする暇があるなら僕は家のクーラーの前で歴史小説を読みふけたい。
カンカン照りで陽炎すら見える日中、僕以外に住宅街の歩道を歩く人間は少ない。
植わっている街路樹には梅雨も明けたばかりというのに「カメムシ目・頸吻亜目・セミ上科の彼ら」が頭上で元気に恋の詩を奏でている。
毎年御精が出ることだ、往来で各々が「俺の歌を聞けぇ!」と即興ライブをはじめ、それに惹かれたメスと、今生最初で最後になる、ひと夏のアバンチュール(死語)を経験していくのだろう。
だが僕にとっては彼らの恋なんてどうでもいい、ただ「五月蠅い」だけだ。
そもそもこんな暑くて蝉時雨の中を歩いているかという話だが、これにはわけがある。
ーーーいかがでしたでしょうか(まとめサイト風味)
適当に思い付きで冒頭を書いてみましたが、大体主観視点にしないと「である」「だった」「する」で行が終わってしまうので文章が非常に単調で連続性がなくなって死にます
相も変わらず書きながら上手い表現が思いつかなくて後から思いついて悶え苦しむだなんてことをよくしてました(吐血
まぁなんといいますか、タイトルの通りに僕は物書きを目指していました
高校の国語の授業で新聞の投稿欄に出してみようだなんてことがあり、
たまたま今の社会に対し「何でもかんでも若者のせいにするな!」的な投書をしたところ、ブロック紙に見事に掲載されてやたら色々な人に称賛されたのが直接的なきっかけだったかなと記憶してます
よくよく考えれば高校生の投書自体が珍しいこと、当時にしては他の同年代より強い調子での表現だったのでそれを面白がっての事かなと・・・、まぁなんだかんだでもう一回掲載されるんですけどね
ちなみに物書きの夢はあっさり挫折しました
現実的に「食っていける仕事じゃない」ということを散々親に言われたのもありますが、それ以外にも問題がありました
まず、物語の中で設定を書きたがるor説明がほとんどなく事態が進展する
特に前者は致命的なレベルでロボットものの二次創作なんて描こうものなら・・・
(下記より『東京皇帝★北条恋歌に』登場する兵器群の二次創作です)
ーーー空中戦艦「九重」のカタパルトからウィッチ級機動魔法兵「陽光五式」が発艦していく。
東京帝国より九州生徒会自治区へ無期限貸与されている帝国初期より国を支え続けた当機の最大の特徴は扱いやすさと丈夫なフレーム構造である。
「陽光」シリーズの単純かつ合理的な開発理念を愚直なまでに忠実に追い求めた本機はこれといって特筆した能力はない。
シリーズの基本構造はそのまま、
魔導石をダイレクトに接続することによって得られる「手足のように動く操作感」、
エーテル過給魔導増幅装置によって「大火力攻撃後でも推力を維持する安定性」、
内部フレームの単純な構造のために「多少の無理がきき、交換も容易な堅牢性及び整備性」、
これらの要素によって優秀な量産機としての位置を確立した。
単純な瞬間的な出力スペックで言うなら数世代前の旧世代スーパービショップ級の「竜王」や「千手王」などよりも最大出力は劣るものの、総合性能ではピーキーで繊細な操作を求められたこれらよりも高い。
ウィッチ級の扱いやすさをそのまま、1世代前のスーパーウィッチ級の性能にも匹敵する総合力において、帝国のみならず、供給されている各国の怪蟲掃討戦において多大なる活躍を評価されている。
その陽光五式の生産は現在帝国へ供給されているすべての機動魔法兵を製造・販売しているキンダーハイム・インダストリアル社の有する、「地球における時間概念を無視できる」次元回廊空間内の「第七工場」にて安定して生産されている。
当初、この工場は有事の際に瀕して、聖騎士王の指示により初期型の陽光や他機種も生産されていたわけだが、機動魔法兵の細分化に伴い他系統が別の工場や施設で生産するようになっていき、最終的には当工場に陽光シリーズだけが残り、生産し続けているーーー
ーーーという感じで話の腰を折ってというかほとんど脱線しながら設定をつらつら話したいというか多分余談を多く挟むのは司馬遼太郎の「余談ではあるが」という流れと小説版IGLOOの記載が大体の原因だと思ってます、はい
というかこの内容もほっといたら機動魔法兵の分類についても自己設定ながら語りそうな勢いでした、病気ですね
次点でオリジナルの物語の流れが「どっかで見たことある流れになる」という奴
というかつい最近読んだりしたものの影響を大いに受けます
物語だけならまだ推敲して独創をしていけばいいものをなんなら文体もかなり似通ってしまうのが常であるために書いてる途中で「この流れは(作品名)の完コピじゃねーか!」って一人立ち上がって頭を掻き毟るような奇行に繋がります
ただ痛いだけの文章ならまだほほえましいものの、ほとんどどっかから持ってきた言葉、言ってしまえば「自分自身から発せられたものではない、重みのない内容」というのが自分の中でいつまでもコンプレックスが付きまとい、モチベの持続も得意でなかったために断念しました
あと書いてる途中に一番困ったのが書きたいシーンにつなげるまでの話や「起承転結」の「承」と「結」が弱いのがずっとダメでした、
これが長いものを書けば書くほど露骨にこの悪癖が出るものだから多分相当短い短編とかではないとキレイに完結は無理なんじゃないのかなと
故にたまーに創作意欲がわくのをTwitterポエムに抑えながら悶々としてる次第ですが、
ただし小説読みたいなぁとか言われたら書きます、チョロいので
それでは
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?