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そういえば今月の10日で
火事で家が全焼した日から10年経った。

人間って意外となんとかなるものですね。
まぁなんとかなったのは 親族、
保険やら金銭的な支援・仕組み、等々
周りの方々の助けあってのことですが。

「人生の歯車が狂った瞬間」なんて
数えればいくらでもあり、
もしあの日火事にならなくとも
前々からおかしかったような気もするし、
それでも今こうして生きているなら
あの後にもし何かがあったとしても
なんとかやっていけたのかもしれない。

いやいや、それでもどの瞬間にも
頑張った私は確かにそこに居ました。
あっという間に21歳も折り返し地点。
早いものですね。

過干渉されることに慣れていないので
他人の物差しで自分を測られることに恐怖している。

他人のことは永遠に理解できないから
僕の気持ちを「よくあること」と片付けられると
寂しい気持ちになってしまう。

僕は君にとって「特別」じゃあないのか、と。

いつだって誰しも加害者になり得るから
なるべく他人に優しく在りたいけれど、
すべての人に優しくなれる人生というものはなくて
いつの間にか他人に自分の幸せを踏みにじられ、
また自分の幸せも他人の不幸の上に成り立っている。

気持ち悪いなあ


「今が幸せならば」、なんて言葉は諦めだ。
過去は変えられないけれど、これは思考停止だ。

つらかった過去も幸せだと思えるくらいの幸せに
出会えたことすら幸福だとしても、
それでも僕は過去の僕を抱きしめてあげたい。
頑張って生きてきたと今までを認めてあげたい。
だってあの時の僕は
ほんとうに死んでしまったかもしれなかったよ

どんなに不器用で在り来たりな人生だったとしても、
あの瞬間の苦しみは永遠にわたしだけのもの。

誰に理解されなくともあの瞬間の僕の全ては
僕しか知らないから、
全部、僕が抱きしめてやるしかない。

自分が味方で居てくれるようになって
ほんとうによかった。



理想の自分で他人と触れ合いたくて
自分じゃない自分でいることが救いだったけれど、
この状況下で家族に迷惑をかけられなくて
心半ばで辞めてしまったバイト。

過去がどんなものであってもあの時間だけは、
自分の理想の女の子に近づけた気がして
楽しかったし、辛いことも受け入れられた。

今はもうあの頃と違う自分に
幻滅されてしまうことが怖くて怯えている。

自分の本当の姿なんて自分でもわからないけれど、
自分を信じてくれている人を
信じられる自分でありたい。

だから僕を信じていてね

と、胸を張って言えるように
自分の過去も今もこれからも、
受け入れて 好きな自分で生きていたい。

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