2023/06/16 この世界を平和にするただひとつの方法
今まで長々といろんなことを書いてきましたが
この世界はなぜ乱れているのかということを考えたときに
それは霊的な影響がある、
霊障であるということを
自分はずっと考えてきたわけです
たしかに、金融経済はおかしい、
政治もおかしいし法律もおかしい、
そのことは大勢の方が指摘されているところですが
では、なぜ金融経済がおかしくなったのか、
なせ政治がおかしくなったのか、
なぜ法律がおかしくなったのか、
おかしいものがおかしいままにしてあるのはなぜなのかということで、
そこに霊障や呪術があると、
だからこそ、大勢の人が
おかしいことをおかしいと認知も出来ないまま、ここまで来たのだと、
一部の人だけが目を覚ましていて
「おかしい」と必死に言い続けてきたけれども
ほとんどの人がそれに耳を貸さないばかりか
その人たちを異端者扱いしてきたんだと、
そしてその「霊障や呪術」の大元は何かと考えたときに
邪神バアル、邪神モレクの影響、
そのバアルは呪術の神でもある、
さらにそこに大淫婦バビロンというべき
九尾の狐のような女の妖怪たちがいる、
なんというか、悪の三位一体みたいな存在がいるわけです
何かを悪と決めつけるのは気が引けるのですが
ヤハウェにはあまりにも欠点が多く
バアルにも良いところはあるのではないかと
そういう見方を数年してみたこともありますが
やはり、違うなと
バアルを良く思おうとしている自分自身の波動が
驚くほどの勢いで落ちていくんですよ
この時期にまさにどん底になりました
ですから、間違った神を信仰するということは
それほど、人の運気に影響を与えるものであると
そのように感じたというのもあります。
いま、ニュースでいろんな事件がありますが
担ぐ神輿を間違えているために
非常に運気が下がってしまい、
起きるべきではないことが起きてしまっている、
というように感じます
その「担ぐべきでない神輿」というのが、まさにバアルです
そしてバアルはフェニキアの神であり
フェニキアはアルファベットを作ったと
そういう話もずっとしてきましたけども
「英語の世界」に肩入れしてしまうと
日本の神々の世界から離れてしまう
日本の神々の世界から離れてしまったら
日本の神々の加護が自動的に消えてしまいます
神が人間を見捨てるとか見捨てないとかではなくて
ほぼ自動的に消えてしまうんです、
保護シールドみたいなものが、
真反対の磁力が同じ所では働かないようなものです、
反発しあうんです、どうしても、
S極とN極のように、
しかし、それでも日本は方針を変えることができません
なぜなら、敗戦したあとは
結局、植民地のような状態だからです
植民地は宗主国に逆らえないわけですから、
これには苦慮している方々がいると思いますが
根本的な解決にはなっていません
根本的な解決というのは、ひたすら
霊障を解決することしかありません、
つまり、ここまできたら
神の力に頼るしかないんです
正しい神を信仰すれば
宇宙人の憑依は取れるんだと
中国の霊能力者は言いました
そうであるなら、信仰すればいいだけです
信じればいいだけです
ただ、それができない
そんなものはいないと洗脳されている世界で
多くの人がそれを信じることができない
心から信じなかったら守ってもらえない
少しでも疑えば離れていく
少しの物音に驚いて飛び立つ小鳥みたいに
神は、そこからいなくなってしまうんです
信仰というのは本当に難しいものだと身を持って体験しました
ただそれでも、小鳥はいつでも戻ってきます
呼べば必ず戻ってくる
しかし人類の意識に
何重ものブロックがかけられていて
それは常識とかメディア戦略とか、学校教育とか
ありとあらゆるところでブロックがかけられていて
神への信仰にたどり着かないようにしてあるわけです
そんなものを信じるのはバカだけだと洗脳してあるわけです
ですから今は、100%の信仰など夢物語です
しかし、人類は遠からずそこに到達します、
信じるものは
キリストでもいいし、天照大御神でもいい
よく分からなかったら「おてんとうさま」でもいい
自分が好きになれそうな「光の神」を選んで
好きになってみてください
必ず人生が変わってきます
人生に光が差してきます
私は人生がどん底だったとき、バアルに同情していました
ヤハウェが本当に正しいかどうか分からなかったので
片方のことしか見ないのは不公平だと思ったからです
これは、自分の直感を信じずに頭で考えた結果でした
しかし、そのような考え方はやはり邪道でした
神を試してはならないという言葉があるように
自分の運気がどんどん悪くなっていきました
もともと私の家系はバアル信仰みたいな家系だったので
日本にそんな家があるのか? と思うかもしれませんが
実は、それはかなりの数にのぼります
源平藤橘の中に含まれてますので、どうしてもそうなります
何度離れようとしても、そこに戻ってしまっていました
ブラックホールのような引力があります、闇の神というのは
しかし、そこから離れることはできます
引っ張ってくれるのは光の神です
たとえバアル信仰の家系に生まれたとしても
光の神を信仰しさえすれば
光の神のもとに戻っていきます
誰でもそうなれるはずです、
もちろんいろんなカルマはありますから
それが解消されていくことも大事ですが、
カルマというのは目の前の仕事を精一杯がんばっていると
自然と解消されていきます
苦労しますし、簡単ではないですが、
カルマ解消の出来事は必ず起きてきて
カルマ解消のチャンスに恵まれます
分からずにスルーすることも多いですが、
分からなかったら何回も同じ問題が出てきます
ひとつひとつ、一生懸命取り組むことで
少しずつ視界が良くなってくると思います
お金目当てでやってもダメです、
見返りを求めてやってもダメです、
計算しても神にはすぐ見抜かれます、
無私の気持ちで人に親切にしているとカルマは解消されていきます
目の前の仕事を一生懸命やること
無私の気持ちで人に親切にすること
このふたつを頑張ることで運気が上向きます
欲や金に目が眩んだら
バアルに引っ張られて
ブラックホールに吸い込まれるような勢いで落ちていきます
闇の力は非常に強いです
それを侮らないことが大事です
そういうものと離れることです
そうすれば世界は良くなりますが
ほとんどの人がそうできません
残念ながらそれくらいお金とか欲望の力が強いです
それならそれで思いきり欲望を叶えてみるとか
それは、他人の誘惑に乗るのではなく
自分で、自分の願いを叶えてあげる、
死ぬほどパフェを食べたいとか
ステーキをお腹いっぱい食べるとか
一日中ゲームして遊びたいとか
自分の欲望を自分で叶えてみてください
悪魔の手を借りる必要はありません
自分で自分を幸せにすることができます
子供の頃に出来なかったあれ、
ずっと心残りだったあのこと、
そういうものも、やってみてください
今ならできることもあります
今なら分かることもあります
心の病が治らないのは
根本的な傷口を見つけてないからです
そこがずっと血を流しているからです
それを見つけて、自分で癒してみてください
カウンセラーがいなくてもできます
精神安定剤がなくても大丈夫です
人間には自分で自分を癒やす力があります
自分の願いを自分で叶えることができないという
呪いにかかってしまっているだけです
だから悪魔の手を借りてしまうんです
やりたいことをやるのに悪魔と契約する必要がありますか、
見知らぬ誰かを生贄に捧げる必要がありますか、
そんな必要ないんです、最初から、
悪魔は「いらない中間業者」なんです
贅沢をしたければ贅沢をしてもいい
欲望を満たしたければ欲望を思いきり満たしたらいい
人間、最初から聖人にはなれません
聖人ほど、そうなる前は
放蕩な生活をしてきた人々であったりします
それがあるときに突然「回心」するんです
やりつくしたときに「もういいかな」と満足するんです
それを「良くないことだ」とするので
そこに抑圧が生じて
その抑圧を悪魔が狙ってくるわけです
人や自然を傷つけないことであれば
何をしても個人の自由です
誰かの財産を横取りしたいとか
あいつの家庭を破滅させたいとか
そんな願いだったら持たないほうがいいですが
本当に自分で自分の欲を満たしてあげられれば
他人の生活を破壊しようとは思わないものです
自分が満たされていないから
他人を見て嫉妬するんです
他人の幸せが憎いんです
誰でもそうなって当然ですから
自分の心が狭いのだと自分を責める必要もありません
神でさえ嫉妬をします
人間が嫉妬しないはずがあるでしょうか
嫉妬している自分を認めたらいいんです
そこを俯瞰して見られるようになれば
その苦しみはいつのまにか消えます
そのためには自分が幸せにならないといけない
不幸のままでは、嫉妬することをやめることができない
では幸せとはなんですか、
ほとんどの人がそれに答えを出せません
お金を持っていても不幸な人もいますし
結婚していても幸せでない人もいます
一人でもリア充の暮らしをしている人もいれば
友だちがたくさんいてSNS疲れしている人もいます
幸せというのは、必ずしも
一つの形ではないんです
その人の性格に合ってるか合ってないかです
「これがないから幸せじゃない」というのは
もしかしたら勘違いかもしれません
そう思い込んでいるだけかもしれません
そう思わせられているだけかもしれません
「足りない、足りない」と思わせられているだけかもしれません
「あの家はお金持ちだから子供を塾に行かせられる。うちは出来ない」。
そう思う人がいるかもしれませんが
塾に行っても出来ない子もいますし
行かなくても出来る子もいますし
出来ることが幸せであるというのもまた、思い込みかもしれません
勉強が良く出来て東大に行っても
そこで道を踏み外す人も少なくない
ギスギスした環境の中では、人はのびのび育つことができません
何が幸せかは分からないということです
中村天風さんの言葉に、
「人生は、心ひとつの置きどころ」というものがあります
のちに、その話を講演会でするようになりました
人生、何がどう転がるか分からないものです
中村天風さんがヨガを学んで体得されたことは
病気というのは自分で自分を病気にしていたと
そのことをヨガの師匠に指摘されて
そんなわけがない、いい加減なことをいいやがってと
血を吐くような苦しみの中で師匠を恨んだそうですが
師匠の言うとおり滝行を続けていたところ
ある日突然宇宙の真理を悟り
それと同時に病気も治ってしまったそうです
病気とは自分が作り出しているものだと
政木先生も実験で確かめられたそうです
健康なグループに「病気です」と言い
病気のグループには「病気ではありませんでした」と言ったところ
健康な人は病気になり
病気の人は病気が治ったそうです
今はそんな実験は出来ないと思いますが
人間にはそういう不思議なところがある
思い込みの力というのはそれくらい強いんです
そうであるなら、
自分の「思い」をコントロールしていくこと、
自分の「思い」を良くしていくことが
人生をよくしていくことだと思いませんか、
しかし邪神崇拝みたいなことをしていたら
自然と邪霊悪霊が寄ってきて
思いもどんどん悪くなっていきます
私はその時期に非常に体調が悪くなり
それまで無かったアレルギーにもなりましたし
慢性疲労でまともに歩けなくなりました
信じない人に信じろとは言いませんが
担ぐ神輿を変えることで
自分の人生が激変する可能性があります
まるでパソコンのグラフィックボードを変えたかのように
今までできなかったことができるようになる可能性があります
私は、魔術とか呪術とか、悪魔崇拝をしている人々が
もっとも隠したかったことは
実はそのことではないかと思います
人間は、非常に霊的な存在で
だからこそ、大きな可能性があるんだということ、
信じることで、人生はいかようにも変わること、
思い込みの力とか信仰の力というものは
それくらい強大なものであるということ、
そのことこそ、もっとも隠したかったことなのではないかと思います
なぜならすべての人たちがそんな「魔法」を使ったら
自分たちの「魔法」が通用しなくなってしまうからです
彼らはそのことを、一番怖れたのではないかと思います。
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