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同じ本を何度も読み返したい、嫌味なアイツを見返したい(yeah)

一冊の本を一日で読み切った。

いつもは、大抵何日かに分けて読むけど。

本を読むのがすきだけど、
本を読むのがすきな人たちの中では
あんまり本を読む方ではないと思う。
集中力が続かないし、
違う本を読みたくなったりして途中放棄することもある。

本を読み終えるとき、なんかのスイッチがあると思う。
その本によって他のことをする余裕を失くされる。
というか、自分の周りに結界が張られてるような、切迫した状況に追い込まれてるような。

世界でその本と自分しか存在しない感覚に陥る。

その状況は、お腹すいたなあ、とか尿意とか人との待ち合わせ時間とかによって呆気なく終わっちゃうんだけど。
そういやトイレ行きたいわ。
自分で尿意というワードを出しておいて自分で催しちゃうってすごいな。
自己催眠術についに成功したのかも。





本を読んでるときに、すきなシーンやすきな漢字や表現、言葉が出てくるところに折皺をつける。

嫌いな人はめちゃくちゃ嫌いな読み方だとおもう。

今日読んだ本は多い方だと思う。折り目が。

この本には猫がたくさん出てくるシーンがあるんだけどつい姉ちゃんのこと思い出した。

姉ちゃんは、自称猫アレルギー。
猫が嫌い。
猫が視界に入るときゃっ、と(キャット…?)叫び、進む方向の先に居たならば、俺を盾にしながら恐るおそる歩く。
大袈裟に騒ぐ姉ちゃんを思い出してくすりと笑えたので、そのページには折り目をつけた。

読み返したときにまた、同じページで姉ちゃんのことを思い出せるのかな。





本を読むことは未知との遭遇だらけ。
これまで培ってこなかった知識を蓄えたり、
昔のことや未来のこと、
誰かの人生、
動物目線の人間、
宇宙のこと、
想像とリアリティでできた産物だ。

ちょっとした嘘にも近い。

その中でも自分の過去の出来事と重ねたりするのは何だか不思議。

ありもしない物語の、見たことのない猫の群れに対して、実在する姉ちゃんを思い出す。

その猫の群れは、姉ちゃんから見たら地獄のような景色だろうけど、本の中では恋人同士を繋ぐ生き物として出てくる。

ねこ飼ったことないから、恋人同士を繋ぐ役割を果たす、という発想に驚いた。

長く同棲していた人と別れたときに、
ペットを手放さないといけないのが1番つらかったと言っていたひとのことも思い出した。

自分の目線と重ねて、
共感したり、
納得したり、
反感を持ったり。
読む人によって解釈も全然違う。

本を読むのは、たのしい。



内容がどんなものでも、本や映画を観終わると、誰かに伝えたくなる。
一緒にみよう、とか今度見てみて、とか言ってみるけど、本当の理由は違う。
なんとなく、伝えたくなる。

あれは一体なんなんだろう。

たぶん、自分の気持ちを共有したくなるんだろうな。
それって見てほしいってことじゃん!って思うかもしれないけど、
それとはすこし違う。
気持ちを、共有したい。

すきなひとと食べるごはんが1人で食べるごはんよりおいしく感じるように、
おいしいって気持ちを共有し合いたいのかもしれない。

もちろん、グチャグチャの箸の持ち方で人目を気にせず食べるごはんにもおいしさはあるし、
自分の生きる道をほとんど決めたような内緒の本もある。

つまり、共有したくないときも、ある。


今日読んだ本は、共有したくなる気持ちが芽生える本だった。

今日は本当は前々から人と飲みに行く約束していたんだけど、
気乗りしなくて昨日断りの連絡を入れた。

だがいま無性に人に会いたくなってやっぱりこれから飲みに行かないか、と誘った。
昨日のうちに言えよ、と叱咤されたが昨日は昨日。

今日は今日。
もう時効。

あ、韻踏んじゃった。


今日読んだ本もまた別の日に読み返したら誰にも会いたくない気持ちになるかもしれないし、
たくさんつけた折皺の意味もわからなくなるかもしれない。
もしくはまた折皺が増えるかもしれない。



昨日は全然文章がつくれなかったのに今日は読みづらいほど言葉が流れ出てくる。
脳みそにパイプユニッシュ、よりも本を読むことは効果的なようだ。
調子が戻ってきた。
今日はいい本に出会えたな。

もう一度読み返すときが、いまから楽しみだ。




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