見出し画像

「マスター、いつもの」

マスター、今日はなんだかかなしい気分なの。
気分がぱあっと華やぐような、
そんな一杯くれない?

そんな日もありますよね、いいでしょう。
こちらをどうぞ。





青い。


心の中のマスターとの会話が
つい洩れちゃった。
失礼。

こんなことを心の中でやってるからクリスマスもイブも年末年始も予定がないの?
クリスマスにケンタッキーのバケツを夢見る少女じゃいられない。
(友達でも恋人でも母ちゃんとでもいいんだけど、これを2人っていう少人数で買って「こんなに食べられないよね、明日また食べよっか」とか言い合うのが夢です。いや、夢でした…。)


こんなことが原因じゃないけど、
というか原因なんてないんだけど、
いま俺は、「なんだかかなしい気分なの」です。

かなしい気分だ、って人に話すと、
「なんで?どうしたの?」
と声を掛けてくれるに違いない。
自分が思ってるよりも、人ってものは優しくて困る。
もっとみんな嫌なやつであって欲しい。
文句言えなくなっちゃうじゃん。

こんなに優しい世界でぐずってる自分が情けなくなっちゃうじゃん。

優しい世界は、ちっとも俺に優しくない。



「なんで?」って言われると理由がわからないままごく稀にそれっぽいことを言っちゃうときがある。
「なんか言わなきゃ」ってプレッシャーにかられる。
お気づきだろうか。
そう、俺は面倒くさい人間なのである。
自分で自分が嫌になるけど、こういう側面、みんなも持ち合わせてるはず。
だからしょうがない。
ひとに面倒くさがられたり、自分に面倒くさがったりしながら「野党な自分」に言葉を濁しながら応えていくしかないもん。








小さい頃母ちゃんに「なんでもなんで?って聞かないで!」って怒られたことがあるのね。

「お母さん嫌いなたべものなあに」
「なんできらいなの?」
「なんでおいしくないの?」
「なんでまずいの?」
「なんで…」

って続けてたら
「なんでも理由があると思わないで!そんなこと言ったらなんでアナタは目が2つあるの?なんで鼻は1つなの?なんか理由あるのそれ?」
と5年も生きてない頃に言われた。

目が2つで鼻が1つなことには何かしら理由がありそうだけど、確かになんでも「なんで?」って後追いしてもしょうがないこととか「なんでも何ももないこと」ってあるよな。



クリスマスにバケツのケンタッキーを買うのだって、理由はなくやりたいんだもんな。
やりたいなあ。
でも人を家に招くのって面倒だからやっぱりいいか。
でもやっぱり、胃もたれを気にしない年齢のうちにやりたいぜ。


こんなことで悩むのはまだまだ未熟者だからなのかなってたまに思う。
でも、小学生の時に思い描いてた大人の俺は、既にこんなことに悩まなくなってたし、きっと似たようなことで何歳になっても夜眠れなくなったりするんだろうな。



優しい世界がすきになれないとき、同時に自分のこともすきになれない。
俺は自分が可愛くて仕方なくて、自分のことだけを守ろうとしちゃう。
ひとの優しさを受け取れず、誰のこともたいせつにできてない気になったり。


だから俺に関わるひと全員(仕事仲間、コンビニの店員、ちょっとだけ喋ったことあるひととか)自分だと思って接する、ってことを試みてたんだけどこれが結構難しい。自分がどれだけ人に甘えてたのかがわかるし、相手と自分の違いが痛いほどわかって(え?そう解釈する?)の連続で楽しかったり自分に対して不信感が募ったり、…うん、やや失敗気味の作戦。



だから、なるべく諦める方向でいくことにした。
俺は自己愛が強くてひとの気持ちなんて1ミリも理解出来ない1本の藁よりも役に立たない、ケンタッキーが食べたいだけの生き物。

そういう生態。
と思っててもやっぱり自責の念が押し寄せたりする。
それもいい。
そうやって今までも生きてきたしこれからも生きていく。


自分がかなしいときも理由を考えるべきときと
「まあ、そのうちご機嫌になるでしょう」
と思ってみるときと分けることにした。
そう思えたらもう9割くらいご機嫌に戻れてるときなんですけど。



心の中のマスターはいつの日も、どんな体調でも「そんな日もありますよね」って言ってくれる。



わたしもマスターのような穏やかな人間になりたいな。実現しないけど。






体に悪そうなものがすきです。
煙草とか、恋愛とか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?