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調子悪い日とか生きてるんだからあって当たり前。

わからないことはわからないままでいい。

いつもそういう風に考えてたけど
どうやらそれは一貫して言えることじゃないみたい。
最近知識のなさに恥をかくことが多い。
年取ったからだね。
友達の子供が大人になり始めました。
我輩は独身。
焦りは、まだない。


人はみんな俺のことを邦楽名人だと思うだろうけど、たまには洋楽も聴いたりする。
気分によってはね。
ケースバイケース。
今のは言いたかっただけ。

洋楽の歌詞とか和訳にして調べるのなんてバカがすることだと思ってた。
洋楽は何言ってるのかわからないからいいんじゃないか、
想像で歌詞の意味をイメージして楽しむもんなんだ、と思ってた。
あとシンプルにメロディだけでその曲をすきになれる感じもすきだった。

邦楽を聴いてると歌詞にある言葉に救われたり
自分と歌詞の情景を照らし合わせては感傷的な気分になったりしてた。
更にいうとそのグッとくるフレーズのために他の歌詞やメロディがつけられてるんじゃないかと思ったりもしてたの。

一方洋楽は歌詞がわからないからろくに音楽をやったことない身としては
何となく本能的にグッとくるリズムで聴いてた。

ボヘミアンラプソディーをDVD借りて字幕で観た。
歌詞もかっこよくてビックリした。
観るのは2回目だったけど、何度も驚く。
音楽も和訳してくれてよかった。
メロディだけじゃなくてこんなメッセージが詰まってたなんて微塵たりとも思わなかった。今まで何ちゅうものを流し聴いてたんだろうとゾッとしてしまい、ちょっと怖くなった。


その反動で外に出て散歩をした。
ピンク色のツツジがこれ見よがしに咲いてるのが目に映った。
なんだか気持ち悪くなった。
どれも色の濃いピンクで、集団になって咲いてるのを観ると自己主張の強い女達に囲まれたような気持ちになった。
アタシを見て、この中でもアタシが一番でしょう、と言われてるようだった。
太陽に向かって馬鹿みたいに口を開けて笑ってるようだ。
いつもは綺麗だ、と感じれる花達をひとつひとつ見てみると承認欲求の塊を表してるみたいで気色が悪かった。

人は嫌いな人の中に、自分の中にあるいやな部分を見てしまうそうだ。
だから嫌いになるらしい。

ツツジもそうだった。
俺を見ろ!と叫んでるのは自分のように見えてしまった。
ほっといてほしい、と思いつつもこちらに目を向けて欲しくなる人間のイヤらしさをツツジの中に見てしまった。

怖かった。


この日記は昨夜寝落ちして途中までになっていた文章と、今朝方から書き始めた日記になってる。

昨夜はなんだか楽しそうなのに、今日に限ってはツツジを見ただけで気分を害してしまうありさま。
ものに八つ当たりせずとも、他人にイヤな顔をせずとも、調子は悪かった。
自分の感情は脳みそに頑丈にロックされてる。
誰もわからない、自分すらもあまり気づかない。
疲れてしまった。

夢と現実がごちゃまぜになってきてる。
誰かに帽子を買ってもらったような気がしたけど
そんな帽子は見つからない。

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