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才能ってなあに?

人間として生まれて、言葉を上手に扱う事が出来るようになったころ。
俺は世界中の誰よりも優れてて、一番で、特別だって決めつけてた。

みんなもそうかもしれないけど。
世界の中心はいつも自分で、自分のためにみんなが生きてた。
そんな屈託のない自己中心性(?)は当たり前のようにいつもあって、何の証拠も必要としなくて、
自分を「天才✨」たらしめる唯一&最大の根拠だった。

あれ?って微妙な違和感に気付いちゃったのは、小学校がもうすぐ終わるって頃。
かけっこ、テスト、模試、塾、そろばん(やってないけど)
他の子と競争していく中で、点数とか評価みたいな定量的…?定性的…?なものさしで徹底的に比較されちゃった。で、屈託のない自己中心性(?)はごりごりに砕かれて、自信はは地の底に落ちた。


そこからはひどかったよ。
才能がない、って事実に気付いちゃってからは、新しいことに見向きもしなくなったもん。
とにかく、普通以上にならないといけない。
一番にも特別にもなれないなら、せめて誰かの足を引っ張るようなことがあっちゃはいけないんだから……。
天才に抜かされる度に、近くでその技を拾い集めて涙を飲んでた、たぶん。

高校生になってからはね、自分に自信があったことなんてすっかり忘れてて。
才能もない、何も特別じゃない凡人として暮らしてた。
見える景色が灰色だったならまだよかった。
俺は普通で、普通だから絶望もしないし、悔しくもない。
何も感じない日々をただ同じ方向に、動く歩道に乗ってるみたいに、
努力や自信っていう外力から目を背けて、等速に進んでた。(等速直線運動)(何かは説明出来ないけど答えられる言葉第1位、2位はsinθcosθtanθ)

ただひたすらに虚しい日々だったね。
このまま勉強を続けて、何の起伏もない人生を流されて進んで、生きて、 しぬ。

そう考えるときはいつも、根拠の無い自信を持ったあの日の自分を思い出して、懐かしいような、もどかしいような気持ちだった。
鬱陶しい光が、余計なお世話なのに包んで溶かそうとしてくる感じ。
それが苦しくて、辛いことなのにさ。光って空気読まないよね。

大人って呼ばれるようになって、俺はいよいよ絶対零度にまで落ち込んでた。
話す人話す人が天才に見えたし、この中で没個性な俺は埋もれるしかなくて。
何の変哲もない勉強だけ、それどけが人並みに出来た人間として、
誰からも嫌われず好かれず死にて〜!とすら思ってた。


色んな事が自由にできるようになった大人って歳を過ぎてから、俺はなんでか不自由な日々を過ごしてた気がする。
感じることがない日は、「自由で何をしてもいい」って枷になったし。
その枷がね、更に俺の心と体を重ーくにぶーくしていった。
よくある生活を送って、よくある仕事をして、よくある先輩風を嫌味にならないように吹かせたり、そういうのを俺の人生のささやかな慰めにしよっかな、とか。
そんな風に斜に構えたこともあった。

自分という存在がつまらなくて下らなくて、鼻で笑ってた時に俺は文字通り子供のまま大人になった人と出会った。
傲慢で、自信家で、馴れ馴れしくて、信じられないほど下品。
頭悪いな、と思ったしもしかしたら言ったかもしれない。
花火をするために立ち寄った川の近くで、

子供みたいなあの人がお酒の匂いをささながら言ってた言葉を俺はきっと忘れない。



 「おまえ才能ないよ。すぐ諦めるじゃん。負けなかったらいつか勝てるかもしれないし、勝てないまま死んでも、負けなかったら勝ちと一緒。比べなくていいし、自分が勝ったって確信するまで続けるのが才能。それでいいじゃん」

真っ暗でよく見えない川辺で、きっと見えてないだろうと思ってボロボロ泣いた。
裏切っちゃった、自信だけで生きてた子供の頃の俺になんとなーく許されたような気がして。
知らない間に痛いくらい握りしめてた掌に、あの日折れちゃった自信がちょっとだけ戻ってきた気がした。手の中にあった花火は粉々だったけど。

あれからずっと、俺は信じ続けてる。

自分がいつか一番になれるって。
特別になれる何かを見つけるって信じ続けてる。

それがどんなにくだらなくて、他の人にとってはガラクタでも、俺は見つかるかどうかすら分からない、何の根拠もないその何かを宝物だと思い続けていくもん。

あなたが教えてくれたから、今日も俺は頑張れたよ。

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