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錆びた夕陽を飲み干したら良いと思う。

まあそんなわけで(どんなわけで?)今日は実家にいるんだけど
実家の最寄り駅の目の前にあった歩道橋がなくなってるのがいつも悲しい。
未だに慣れない、超悲しい。

ひとりぐらし始めるちょっと前からなくなってたんだけどね。
いまはちゃんと横断歩道ができてすごく便利なんだけどどうしてもさみしい。


あの歩道橋があったとき、
階段登って息上がってゼイゼイ言いながら
とろとろ歩いてると

夕日がいつもより近くでみれるのが嬉しかった。
不便なことはいつもと違う角度を教えてくれるんだよ。

最近Suicaなくしちゃって
切符買ったんだけど
両想い切符とか意味もなく確認しちゃう。

懐かしいよね、両思い切符。

あれどうしても100パーセントにならないのが腑に落ちない。
恋に絶対はないってことか?

キザ〜!

切符買うと無くさないようにしないとってプレッシャーがすごいね。
ちっさいし。
Suicaも切符もどこに入れたら無くさずにすむんだろう。


駅から徒歩5分ほどの家にひとりぐらししてるんだけど、
実家は駅から家まで20分以上かかる。

これもまた不便なんだけどいい運動になってたりだとか
桜並木に感動したりだとか
駅まで歩けた自分に少し満足するだとか。


不便だけど手に入れることも多いんだよ。

必要か不必要かで言えば不必要なものしか手に入らないんだけど。

でも無駄ではないなって思う。

自分でいいことを見つけるのが得意になれたりするんじゃないかな。
こういうの豊かな生活と言いたい。
「豊かな」で、東京03の「豊」本さん思い出しちゃった。




不便な部分も愛すれば与えられるよ(?)

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