2022年9月14日、彼は突然この世を去りました。
くも膜下出血でした。
先日、彼の自宅にお邪魔し、お線香をあげてきました。
手を合わせていると、様々な思いがこみ上げて来ました。
彼は弁護士として少し後輩で、少し年下でした。
同じ弁護士会サッカー部で10数年ともにプレーし、ときにピッチ上でケンカしたこともありました(彼が一方的にキレるだけですが)。
でも、プレーヤーとしてや、サッカー部創設者としての私をリスペクトしてくれているのは感じていました。
そして、私がラブリッジ名古屋に関わるようになり、2021年から代表取締役になった後は、彼は特にラブリッジの動向を気にしてくれるようになり、港サッカー場にも何度も観戦に来てくれて、観戦に来られない日はYouTubeで試合を見て、リアルタイムで試合内容についてあーでもないこーでもないとやりとりしていました。
彼は感情の起伏があって面倒な面もありますが、実は繊細で、人なつっこく、憎めないタイプでした。
周りから見れば、私と彼は特別仲が良いわけでもない関係だったと思います。
そんな彼が、常々私に言っていた言葉があります。
それは、私には「友達がいない」という言葉でした。
それに対して、私はいつも「それは否定しない」と返していました。
確かに、私には友達がいないのです。
無理して友達になろうとする必要もないし、友達がいないならそれで良いと思っています。
彼の言葉には、続きがありました。
私の友達は「オレしかいない」という言葉でした。
彼は、私のことを「友達がいない」と言いますが、彼自身も、自分には友達がいない、と言っていました。
私以外。
私と彼は、お互いに、お互い以外友達がいない、という関係だったのだと思います。
だからといって、頻繁に連絡を取るわけでもなく、頻繁に会うわけでもありませんでした。
心のどこかで、何か共鳴するものを感じていたのだと思います。
いつも、ラブリッジの試合についてリアルタイムでコメントをくれる彼が、その日に限って、何も連絡をくれませんでした。
2022年9月11日、アンジュヴィオレ広島戦でした。
後で知りましたが、すでに彼は病に倒れていました。
彼の葬儀には、大勢の友人、知人が弔問に訪れていました。
彼は、自分には友達がいないと言っていましたが、多くの人に愛されていました。
彼の突然の死を受けて、私自身、いつ死んでもおかしくないということを改めて思い知りました。
彼が、伝えてくれたメッセージです。
チャレンジしたいことがあれば、躊躇なくチャレンジしよう。
失敗しても、チャレンジしないより良いじゃないか。
そう考えて、行動するようになりました。
クラブ経営は難しく、試行錯誤の連続で、失敗することも多々あります。
でも、チャレンジしないより良いじゃないか。
失敗しても、それを次に活かせば良いじゃないか。
スタッフにも、細かいことは全面的に任せて、失敗しても自分が責任を取るからやってみて、というスタンスでやっています。
あと何年、何日残っているのか分からないこの命。
彼が生きたくても生きられなかったこの命。
大切にしながらも、悔いないように生きていきたいと思います。
周りの方々に、いろんな迷惑をおかけするかもしれません。
済みません。
でも、どこかで応援してくれている彼に恥じないように生きていきたいと思います。
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