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岩田さんの「リスク・コミュニケーション」入門を読んで(続き)

リスク・コミュニケーションとは「相互作用の過程」ということでした。つまり単なる「危険性を伝えるコミュニケーションの技法」ではありません。それはコミュニケーションの送り手や受け手が置かれた立場や背景も含む、幅広い概念だと思われます。そのような通常のリスク・コミュニケーションとは別に、岩田さんの本に書かれている「リスク・コミュニケーション」とはどんなものかを知るため、第1章を読んでいきます。読んでいって特に気になったところを指摘してみます。

(5)価値観・感情とリスク・コミュニケーション

リスク下では人は上手に情報をキャッチできない

人がリスク下にある時、情報をキャッチしたり解釈する能力は著しく低下すると言われています。通常の半分も、情報的には使えないのだそうです。こういう時に、通常のやり方で情報伝達を行なおうとしても、それは効果的なリスク・コミニケーションとは言えません。

なのでリスク下にある時、特にそのリスクが大きいときは、短いメッセージ、通常は3つ以内のメッセージを、繰り返し伝える必要があります。

東日本大震災後のNHKの津波速報が、このやり方を踏襲していますね。短いメッセージ「あぶないですから絶対に近づかないでください」「津波は一度だけではなく、何度もやってきます」…… これらは何度も繰り返します。短い、少ないメッセージの繰り返しこそが、パニックに陥って情報をキャッチする能力が低下した聞き手にとって、有効なメッセージとなるんですね。

実際に災害が起きているとき、危機が間近に近づいている際に行われる緊急時のコミュニケーションは、リスク・コミュニケーションではなく「クライシス・コミュニケーション」と呼ばれます。ここで挙げられている例は、一般にはクライシス・コミュニケーションと呼ぶのが正しいと思われます。通常はクライシス・コミュニケーションはリスク・コミュニケーションと大きく異なる性質を持ちます。

(6)リスクを伝えるリスク

「公衆には伝わらない」というあきらめは、適切か?

専門家たちは、一般大衆に対するあきらめの気持ちを持っていることもあります。どうせ何を言ってもムダ、科学的な思考プロセスを大衆は理解しないのだから、と。しかしながら、時間をかけて丁寧に説明すれば、 たいていの科学的な思考プロセスは理解できるのです。私の感覚で言うと、中学生くらいのインテリジェンスがあれば、たいていのことは理解可能です(ただし、理解してやるもんか、という決意を持っている人は無理です。話を聞く気が最初からないからです。対応が成立しないところに、リスク・コミニケーションは存在し得ません)。

一般大衆には科学的知識が欠如しているので、それを補うために専門家がコミュニケーションを行う、という態度は「欠如モデル」と呼ばれます。科学的思考プロセスが苦手な一般大衆でも、時間をかけて丁寧に説明すれば理解できるはず。科学的な思考プロセスを理解できれば説得できるはず、という考え方もこの欠如モデルがベースにあります。岩田さんの「リスク・コミュニケーション」では「理解してやるもんか、という決意を持っている人」は「リスク・コミュニケーション」は存在し得ません、と切り捨てられてしまいます。その一方、そのような人がなぜその決意に至ったのか、という背景をも考えるのが通常のリスク・コミュニケーションです。

科学そのものへの不信--科学者以外を巻き込んで啓発する

近年の科学領域における不祥事も、これに拍車をかけています。原子力の専門家は電力業界との癒着を疑われ、 医者は製薬業界との癒着を疑われます。「ディオパン(高血圧治療薬)事件」のように、実際にデータの捏造が行われてしまうと、 データをいくら示して科学的に説明しても「そのデータが捏造じゃないのか」と言われて話は頓挫します。「科学では説明できないこともある」がこういう人たちの常套句です。

科学者がデータ捏造を行なったり、利害が絡む業者と癒着していることが明らかになれば不信を感じるのは当たり前のことです。これは一般大衆に科学知識があろうがなかろうが関係ありません。データ捏造を行なっていない、業者と癒着していないということを証明するのは科学者や専門家側がやらなければいけないことです。もし不信を抱かせてしまうのであれば、それは科学者側に落ち度があります。データ捏造は「科学者への不信」であり、「科学では説明できないこともある」といった「科学への不信」とは異なるのではないでしょうか。

こういう場合は、科学者だけでなく、その外にいる人を巻き込んで、リスク・コミニケーションを取った方が良いこともあります。2009年に公益財団法人結核予防会とACジャパンが行ったビートたけしを使った結核予防の啓発ポスター(「他人ごととは思えないね。結核は、現代の病気だ。」http://www.jatahq.org/siryoukan/torikumi/) などがその一例です。

一般の人にとっては、ビートたけしの言葉の方が、顔も知らない科学者の言うことよりも説得力があるのです。多くの健康食品やダイエット製品を宣伝するのは有名なタレントです。

科学者が信頼されないなら、有名人を使って説得するとよい、と主張されているようです。頻繁に見聞きしている事柄には親近感を抱きやすいという調査があり、それは「単純接触効果」と呼ばれています。単純接触効果はテレビコマーシャルに代表されるようなマーケティングの基本でもあり、政治家の選挙運動もこの原則で行われます(テレビによく出る人が選挙に強いのはこの効果のせいです)。単純接触効果は視聴者に商品を買わせるときには有効な手法です。このような手法を「感染症」という、人命に関わるような問題にも推奨するのが岩田さんの「リスク・コミュニケーション」のようです。説得はしやすくなるかもしれませんが、他に適切な手段があるときにあえてこのような手段を推奨するのは問題があるように感じます。

このような記述を見ると、岩田さんの「リスク・コミュニケーション」の特徴が浮かび上がってきます。それは「一般大衆は科学的な思考プロセスが苦手なので、単純接触効果やクライシス・コミュニケーションのような手法も使わないといけない」というものです。誤解なら良いですが、この考え方がリスク・コミュニケーションの「入門」として広がるのはいかがなものかと思いました。

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