小山田圭吾氏・森喜朗氏について思うこと(魚座木星×海王星時代にむけて)
※占星術的解説は最後の方に少しだけあります。
小山田圭吾氏の件、あまりに凄惨でそこに書かれていたものは全文を読むことはできなかった。
ただこの件について思うのは、小山田氏ほどの酷いものでなくとも、多かれ少なかれ彼のような優生思想やそれにもとづいた、誰かを貶める言動を正当化して、己の優位性を意識したり誇示することは誰にでもあるのではないか、ということ。
優性思想にもとづいた排他的、差別的、暴力的な言動を安易に正当化できるのは、出生、家柄、国籍、学歴・職歴、そして社会的にふさわしいとされる年齢や性別に充てられた役割、具体的には結婚状態や子供の有無、といった社会的に良しとされるステイタスに無自覚なまでに同化、自己肥大し、それを自分の価値と思いこんだ結果、等身大の自分を見失い
社会的に良しとされる評価やステイタスを得たと同時にそれを失うことを恐れ、維持することを求めるあまり、根源的な自身の欲求を満たすことを後回しにして、本質的な意味での自己価値を育むことを放棄してきたしわ寄せが、弱者への差別、暴力として現れるのであって、それは現代の資本主義社会に限らずどの世界でも起きることだと思う。
そういった優性思想やそれに親和性のある社会的ステイタスを得て維持するための自己抑圧の苦しみ、喪失の恐怖が、自分よりも弱者に見える者への、暴言、暴力となるわけで、職場でのパワハラ、セクハラに家族間でのDVというのは、こういうところから始まるのだろうし、友人知人間でのマウントのしあいというのも似たようなことから起きるのだろう。
つまり、社会規範から逸脱しているように見えるものや弱者へ有無を言わせず圧力をかけ、無自覚に蔑み貶めることを、誰もが何かしらの機会にしている可能性はとても高いのに、そういう自分は存在しないとばかりに、振り返り自省することもなく、謝罪することから逃げ続けることは、小山田圭吾氏同様に誰にでもあることではないのか。
ここから先は
¥ 550
noteの記事のシェアそして課金によるサポート、とてもうれしいです。いつもありがとうございます!