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役割をつかさどることば、の、卵をあっためている。実際に役割に入るまでの時間ギリギリまで。



三日連休があり、今日からまた放課後クラブへ出勤。風邪と思われた症状もすっかり元気になったので、からだ的には問題ないのだが、いわゆるコミュニケーションについてのことが気になる。三日間でも、連れ合い以外の人たちと触れ合わないでいたので単純に緊張感がある。

もともと集団が得意ではなく、無関係の人々の雑踏のなかにいるのは、構わないのだけれど、なんらかの役割を与えられた集団の構成員、ここでは職場の人たちということだけど、そのあいだで役割をこなすというのが苦手なのだ。子供を相手にするのだから、本来の仕事は子供と触れ合い、見守るということ。でももちろんここにも、せんせい同士の役割がある。言い出すとキリはない。ここは割り切りといういい加減なことばでお茶を濁しておきたい気がする。

ただ、、他者のあいだで、自分の役割をどう見つけていくか、考えたり感じたりするときに使う、ことばそのものが、いままでとは変わってきている気がして、うまくいかない気がしている。ここは確かなようで、こだわってしまうところだ。なんだろう、いままでならポンポンと簡単に生まれては成長し、勝手に出て行ったことばたちが、卵のままになっている。それをあっためてあげる必要に迫られているような。

うまく言えない。でもこのもどかしさこそ、うまく言わないほうがいいという予感がする。。ともかくいまは、温める時期。どんなことばたちが、卵から生まれて、わたしに他者との役割を振ってくるのか。

ともあれ、ただ、時間の許す限り、あたためる。。季節の変わり目で、着ていく服に迷う。



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