予測ばかりして、結局、出たところに従う。どこかの報道ではない。わたしのあたまの中の状況。
あたまのなかが、とっちらかって、収拾がつかない、そういうときは黙ってぼうっとしているか、あるいはひたすら独り言をいっているか、どちらか、あるいは両方で、やり過ごすが、いまは出かける前の自宅の中なのでどちらでもいい。連れ合いにはさいわい慣れてもらっている。それに甘えていかにも変な人になる。
でもいまはそのどっちにも組し得なくて、勝手に困っている。。今日に始まったことではなく、このところの傾向だ。わたしは躁鬱病で、いまは躁期にあると自覚するが、単純にいろいろな思いが湧きでてしまうという話ではなく、それを打ち消す波、みたいな、いってみれば鬱の波のようなものが、被さってややこしくなる。アレはどうだったかな?もしそうならこうしよう、そうだ、これもこうしよう、という気持ちに、いちいちダメ出しをしてくるような気配がある。なにをすればいいのかわからなくなる。まったく困る。でも困って済ませるのではなんだかしゃくに触る。
いっそのこと、思いつくままここに列挙してしまおう。。今日着ていく服のこと。連れ合いに新しいパーカーを買ってもらった。早速着ていこう。でもなんだかもったいないような(といっておそらく着る、寒めの今日には生地が厚くてよい)。あとは、、そうだ、 そろそろ出かける放課後クラブ(わたしは学童指導員)で、子供たちの出欠の確認方法について気になっていた、昨日の夜はそれでなかなか寝付けなかった(眠剤を飲んだくらいだった)。今日それとなくあのひとにでも、聞いてみようか、といってこれは彼女のようなベテランの業務で、わたしには任されていない、まあ、嫌でも教わるはなしだ、とりあえずまだいいかな(と苦手とするあのひとの顔を思い浮かべる)
、、他にも、あれはどうしたっけ、知りたいな、これはどうしようか、これもしたいけど、などなど、と、脈絡なく浮かんできて、それらにいちいち、あたまのなかで状況を思い浮かべてみる。でもそれはあくまで、シミュレーションというやつで、しかもそれらを実行にうつすための計画をたてているわけではない。ただただ、起きうることを予測して気持ちの準備をしているだけ、という、まるで他人事のような心境になる。
やはり、あたまが、とっちらかっているということ。。ともあれ出かけるまでの時間は刻々迫ってくる。なので。
なるようになると今日も決めて、あとは風ではないなにかに、任せる。