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明日が普通の日になるのが勿体無いので飲んだ、というアル中の少し危険な言い訳。   


本日何回目のトライになるのだろうか。元旦の日記が、あれ? 書けないぞなぜだ?という日記になりつつある。もちろんいつものように未明のトイレは快便だったし、まずいインスタントコーヒーも飲んだし、そこまでは重ねていつもの通りで。ただしここからがいつも通りではなく、コタツで何度も目覚めては、お菓子、柿ピーだけどそれを食って歯を磨かず眠ってしまい、しまったと思いつつ目が覚めたら今度はどら焼きを食べてそのまま眠ってしまい、あ、また歯磨きを忘ちまったと気付きつつまた眠ってしまい、そのあとのことはもうほとんど思い出せないままいつしか元日の御来光だった朝日は夕日そして夜へと陳腐なものへ移り変わってしまい、この日記を書いているのがもう午後8時20分となった。ずいぶんズサンな時間の過ごし方でありいかにも正月元旦の休日とも言えるがそれにしてもこんなふうにいつもより曖昧な記憶を持て余すことになったのはきっと朝から飲んだ「微アルコール」のせいである。

躁うつ病であるわたしは実はアルコール中毒でもありそれが原因で精神病院に監禁されていたことがあった。そのことは膨大な話になるのでここでは無視するがともあれ酒はわたしには厳禁とされる。だからもう二年ほど一滴も飲んでこなかったのだがそれがここ二ヶ月ほどの間にこの微アルコールのおかげで曖昧な状況になった。普通の人にはたかが度数でゼロコンマ五度あるいは七度の酒とも呼べないシロモノだがアル中のわたしにこれは立派な禁忌だ。はっきりとこれは、危機だよとそう医者的には強く戒められる水域に来ているってことなのだろう。しかし幸いこれ以上強い奴を飲むつもりは毛頭ないしもしそんなことになったらまたあのクソタレの精神病院に逆戻りだとそれくらいの覚悟はあるしまたそれをこんな風にひけらかすほど今のわたしは酒に対する渇望から自由には、いちおう、二年の断酒を経たためになっては、いるので。


ああ、たかがこれっぽちのアルコールで一日をぼうっと過ごしてしまうくらい、まだわたしは酒が飲めない身体になっておりそのまま行くのがまさにお似合いなのだ、きっとそうなのだ、と嬉しいやら残念やら勿体無いやら、そんな持て余すような気分でいる。。それにしてもこのような曖昧な記憶で過ごすことは正直あまり個人的には好きではないので。

写真のようにシワひとつない真新しいカレンダーに、ピンクのマーカーで温泉マークを描いた。わたしたちが最後に風呂に入ったのが去年の三十日だったということを忘れないために、である。。ちなみにわたしたちが風呂とは、いきなりだが、それは去年からまだ二日しか経っていないということで、でも去年からという言い方どおりだいぶ昔のことのようでもあると感じるということは、お酒で脳の回路がだいぶ痛んでいる証拠じゃないかしら、と。これはピンクのマークを提案してくれた連れ合いの感想だが。


まだキレイなままの元日の欄に、明日なったら酒のアイコンを、描こうと思う。それができたらわたしはまだアルコール無しでもいける。そう連れ合いに胸を張れる、気がする。

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