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【学童保育の現場から】〜黙っている方がむしろ、おっかない。〜



この頃、学童で暴れる子どもが少なくなった気がする。

コロナのせいで出席率が下がって、子どもとこどもの接触が少なくなったせいもあるだろうが、どうも、気持ちを押し込んでいるような気配を感じてしまう。なんだろう、まるで大人の諦めのような、言っても始まらないという気持ちを発散しているような。

そこにマスクが関係していることは、疑いないように思える。わたしはマスクの無意味、飛沫感染を防ぐという点から言って無意味だと確信しているのだが、それでも「規則」として常時身に付けているので、もちろんわたし以外の先生もそうで中には二重に装着する方も一人ではなく。

そういう大人の都合を、彼ら彼女たちは自然に、感じて、いわゆる理屈が合わないとか、先生という名の大人が発する、その時々の都合によって言葉がくるくる変わる様とか、そういったいわば問答無用の乱暴さに、こどもなりの沈黙でもって対処しているような気がしてならない。……この沈黙は、わたしが学童の指導員になり子供に触れるようになって特に感じるようになったことで、こどもは自分の言葉なんかよりも、黙っていることの方が行動として価値がある、何かをアピールするものだと自ずとわかっているような気がする。だから大騒ぎをしたり汚い言葉で反抗するときほど、実は大人に迎合しているのだろうとわたしなら推察する。

だとすれば、大人がこのごろ口にする言葉とは、なんと空疎で、鼻持ちならないものかと思う。……黙っていることが、特にこの頃のコロナ関連の話題では、よくないこととして喧伝され、その気持ちも重々わかるが、それでも。

語り得ないことに、黙って付き合う、ということが、なぜ語り得ないのかのそもそもに触れるという意味で。


相手の存在を、肌で感じる瞬間ではないかと思う。

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