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あたまもからだもことばさえもニセモノなら。あとはただ変わっていくだけだ。



きのうあたらしいニセモノになるなどと息巻いていたが、寝床から起きて毎日の日課からこなす。飲尿。快便の確認。まずいコーヒーを飲む。体調不良で控えた筋トレを再開する。この日記もつける。どこもあたらしくない。

ただ、あたらしいニセモノ、になるという了解は、、そう、了解という感じだけれど、それを受け入れる感触はある。ニセモノのあたまとからだ。ニセモノのことば。それを引っ提げて、自分でも気づかないところで変わりながら毎日を過ごすだろう、という思いがある。そして時間と都合が許す限り、つまり連れ合いも含め、わたしと関わる、主にことば発する存在から、、それは基本、ヒトだけど場合によっては動物や植物あるいはそれ以外のものまで含めて、それらからわたしを切り離していられる間だけ。

繰り返しだが、ニセモノのあたまとからだ。ニセモノのことば。それを引っ提げてわたしは。

ジタバタと、変わる。それだけのことだと思う。はた目には何も変わっていないようでも。とりいそぎここに書くべきことのないような、毎日であっても。


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