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雨の日の気づきはこころのモヤを破るように迫ってくることがある。〜眠って何かをダウンロードするということ〜

午前5時半起床。雨。昨日からしとしとと。

布団のなかで目覚めながら、ああ、まだ寝足りない、でもそれは身体の疲れからではなく、脳、これも身体だけどそれの疲れが溜まっているのだなと直感して。

でもいつもの大便への欲求が起こっているし、そもそも脳も身体の一部だから、もはや眠って解消できる疲れではないなと理解してこれを書いている。。昨日は昼間の学童でクリスマス会だったしその後の打ち上げ、ではないが、同じ学童の先生と飲み屋で話し込んできたので、いつものように風呂にも入っていない。しかもあと30分ほどでまた子供たちの元へと出かけるのだ。せめてシャワーの熱いのを、浴びたい。

なので、早々にこの日記はこれでおしまいにする。続きは、、日記につづきなんてナンセンスだからこれで、おしまい、なのだが。

最後にこれだけを、あたまのなかに種を撒くように、記しておく。



眠るということは、充電に似ていることとはよく言われるが、それと同時に、いわゆるアプリをダウンロードすることにも似ているのでは、という気づきを得ている。

どういうことか、、つまり肉体的な疲れを癒すために、人は寝て何かを充電するということだけではなく。

精神的、こころの疲れは、充電だけで癒すのはそもそも不可能だと思うのである。なので。

「アプリをダウンロード」つまり「こころおそうじ(仮)」という、精神的の疲れに伴う、ほころび、傷、などを修復してくれるそんな特別なアプリを。

眠っている間に、あのナントカいう世界(死後の世界とかあの世とか、あるいは無意識の領域とか)そんな風に呼称されるところから、ダウンロードして。

自己修復式に、直す、治すのではないかと。

そう直感している。




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