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半年前のわたしを救ったPermission to Danceの話

BTSの『Permission to Dance』を聴いて、世界中のARMYが様々な感想を抱いています。どの意見も「BTSへの愛ゆえに」と思わせるものばかり。

それらを読んでいて、わたしもわたしの感情を残しておきたくなりました。遅ればせながら、noteを開いてみます。

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半年ほど前、わたしは「このまま全てが終わってしまってもいい」と思っていました。

きっかけは仕事上のミスでした。いつもならすぐに前向きになれるような事だったかもしれません。でも、その時は絶賛外出自粛中で、わたしにとっては半径数メートルの部屋が世界の全てだったんです。自分のミスについて必要以上に向き合う時間と静寂しかありませんでした。

堕ちていくのは本当に簡単で、些細なきっかけだったりするものです。小さな穴から自分を覗き込むと、芋づる式に不安が溢れてきました。本当はここに至るまで無理をしている事、きちんと生きているという自信がない事、きっとわたしじゃない方がいいと思える役割がたくさん回ってきている事、でも、逃げられない責任がある事。

毎日眠る時、もう目覚めなければいいと願ってしまいました。いまの状況が悲しくてというよりは、これから先に控えている幸せの総量が全て想像できた様な気がしたからです。

きっとわたしの人生には、これくらいの幸せが控えている。悲しみはこれくらいかな。じゃぁもういいか、と。幸せも悲しみも、天井と底が見えてしまった気分でした。冷静に考えると人生には何が起こるか誰にもわかりませんが、部屋のなかで自粛していると、その小さな世界のスケールに合わせて思考がフィットしていったのかもしれません。

そんな時、BTSを見つけました。

彼らの歌やパフォーマンスに直接救われた訳ではないのですが、何かに熱中する事で少しずつ視野が広がっていく様に、わたしはだんだん本来の前向きさを取り戻して行きました。

そして今。TwitterやYouTube、関連書籍を通して、彼らの楽ではない道のりを知ったわたしが、『Permission to Dance』を聴いた時。

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不意に涙が溢れてきました。

暗い世界に光を投げかけるグローバルスターとしての振る舞いに涙したのではありません。彼らの歌は、「半年前のわたし」に届いた気がしたんです。

2019年を最後に、大好きなARMYの前でパフォーマンスができていない彼ら。彼らにとって、ARMYと心を通わせる場を持たせてもらえないことは、まるで自分たちの存在意義が揺らぐような危うい状態なのではないでしょうか。それでも腐らず、自分自身をまっすぐ見つめ、今日まで歩いてきました。

それってすごくすごく苦しかったと思う。もう歩きたくなかったと思う。真っ暗闇な気分だったんじゃないかな。今回の歌は、そんな彼らの苦しみが昇華して、カケラになって降り注いでいる様でした。その叫びが、その怒りが、生きている実感が、あの時「助けて!」と叫んでいたわたしの心と共鳴したんだと思います。

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そうだよね、今日までしんどかったよね。そんなふうに彼らに心の中で呼びかけた時、わたしは半年前のわたしのことをやっと慰めているような気持ちになれました。共鳴することで、傷が癒えていくのを感じました。

BTSともなれば、歌ひとつで世界に大きな影響を与えることが可能です。でも、そんな大きな話ではなくって、たったひとりの人間がこんな風に救われたんだってこと、いつか彼らに伝えられたらなと思います。

最高のプレゼントを、ありがとう。

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