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脇本平也『宗教学入門』を読む 第27回

第七章「宗教的人間観」

4「宗教的人間の目標とその実現」
理想がはっきりすればするほど、それとは程遠い自己の現実が見えてくる
宗教的苦悩の源泉

自分自身が分裂する(理想と現実のはざまで)、しかし、理想に到達する可能性を秘めている
また、その一方で、理想から遠ざけている原因が自己の内にあるとも考える

可能性と限界性、理想と現実、目標と現状
キリスト教の「義と罪」
仏教の「悟と迷」


身近なのは「現状」「自己の姿」目標を妨げるものを抱えた自分

【妨げになるもの】知・意・情(心のはたらきの三分法)

仏教の三毒(貧・瞋・痴)、悟りを阻む害毒
貧:意志や行為などの意欲的なものにかかわる貪欲
瞋:感情的な局面にあらわれる怒りや憎しみの心、瞋恚の念
痴:人間の知的認識にかかわるもので、真理の認識が得られないという意味での愚痴、つまり愚かにして無知であること

キリスト教でははっきりとまとまった形ではない。
意志にかかわる側面は強調される。不正不義。
カトリックの七つの罪源(傲慢、貪欲、邪淫、嫉妬、貪食、憤怒、怠惰)
これらはもともと、自由を使い誤ったことに起因する(原罪)

自己実現の妨げになるもの
仏教的:無明観(法・真理に対する無知・無明が迷いの根本)
キリスト教的:罪悪観(神に対して背いた罪に対する罰。知ではなく情意に重点が置かれている)

法と神の相違がこういった形で表れてきているとも考えられる。


【理想や目標を実現するための方法】
◎自力か他力
自力:自己の可能性に着目
他力:自己の限界性に着目

自力の一般的な考えのもとには、たとえば仏性とか神の似像とかの自己と究極的存在との連続性(つながり)を根拠とする
他力の場合は、自分ではどうしようもない状況を前に、阿弥陀仏に帰依するとか絶対他者としての神にすべてを任せる、委ねるとかそういう態度を基本とする

修行と信仰

もちろんこれらの区別は、はっきりと分かれるということではなく、個人のなかでも共存していたりする場合もある
目標実現の方法を考察する際のレンズみたいなもの(どちらかに分類されるではなく、こういう考え方もあれば、ああいう考え方もあるのか、という感じ)

◎古代インドの「三つの道」
①ジュニャーナ・マールガ「知恵の道」真理の知識を獲得し、磨きをかける
②カルマ・マールガ「業の道」倫理的な善悪の行為、宗教的・儀礼的行為などのよき業を重ねる
③バクティ・マールガ「親愛の道」自己を投げ捨てて神に熱烈な帰依の情を捧げる

知・意・情(心のはたらきの三分法)と重なる


世界宗教のレベルになると、目標や理想はかなり究極的・超越的になる
此岸(この世)を超えた、彼岸(あの世)を志向する
一人の自己完成よりも人類全体、世界全体の完成を願う
仏教:大乗菩薩道が一切衆生の成仏を誓願
キリスト教」神の国の実現を祈願

しかし、究極的・超越的な宗教理想は、現実に実現可能かどうか考えてみれば、実現不可能な遠いかなたにあるようにも見受けられる

現実主義者は、理想を実現不可能だと一蹴する。宗教者は、実現不可能に見えても、究極の願いとしてそれに向かって生きる。

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