光、衝動、確かにそこにあったもの(2024/6/9)

昨日『トラペジウム』を見てきました。Twitterでなにかと話題になっていたアイドルアニメ映画。

結論から言うと、予想の5倍は変だったけど、期待の10倍は好きだった。リピートしたいかと言われると微妙だけど、もう1回ぐらいは見ておきたい気持ちがある。そういう変な魅力のある映画だったなと思います。

感想は……ちょっとダラダラ書くか。まとまりとかないので、そういうの期待しないでください。あと多分ガンガンネタバレもするので、イヤな人は見るのやめてください。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

たぶんコレで大丈夫。ほんじゃ軽くあらすじから振り返っていくか。

本編は大きく3つのパートに分けることができる。

まず、主人公である東ゆうが自らの野望のために仲間を集めるパート。

次に、仲間たちとテレビ出演を果たし、そのままアイドルとしてデビュー、事務所所属にまでこぎつけるパート、

最後に、仲間たちが限界を迎え、ユニットが解散し、ゆうが自らの罪と向き合うパート。

予告段階ではわりと透明感があって、ベタにアイドルアニメっぽさがある。だから、特に最後のパートで評価が割れたんだろうなと思った(それ以前にも東ゆうの露悪っぽい面はチラホラ出てくるが)。わたしもTwitterの肯定的な風向きがなければ、ネガティブな解釈をしていただろうなと正直思う。その意味で、わたしがどれだけフェアな視点で『トラペジウム』を鑑賞できたのかはわからない。

一応冒頭から、気になったシーンを特に抜きだしてダラダラ書いていくか。

まずはアレね、東ゆうの計画、あまりにもグダグダすぎる問題ね。最初の仲間を募りにお嬢様学校に侵入するとき、東ゆうが立てた計画ノートには「生徒数が多い、たぶんアイドルの宝庫」みたいなことが書いてあるんだけど、(たぶんとか書くなよ!)ってめっちゃ思った記憶がある。

それ以外にも、全体的に東ゆうの計画って運でどうにかしてるところが多い。計画というほどの計画じゃない。そしてフレキシブルな部分とそうじゃない部分がある。確かに、全体的に痛々しい。

でもマジメなのは伝わるんですよね……。そもそもああいうノートを自主的に付けて、日々更新しているのは間違いなく偉い。わたしは部活やってるとき、ノートとかぜんぜん書かなかった。なんなら今も会社で日報とか超テキトーに書いている。だから、すげー尊敬する。

仲間集め編の東は多少の露悪をチラ見せしつつも、まだ「ほくそ笑む性格悪いキャラ」ぐらいだったな……という印象。

次、テレビ出演編。まあ、この辺は正味キラキラ成分強めでしたよ。たぶん、東の好感度がいちばん上がった時期だし。

そもそも東ってクラシックバレエやってて帰国子女でルックスも抜群で、挙句に超努力家っていうハイスペック女なんだよ。そりゃ一緒にいたら好きになるでしょ。

『トラペジウム』の変なところは、唯一のアイドルとしての見せ場がこの中盤にしかないっていうところですよね。デケー箱でド派手に解散ライブをするとかでもなく。なんならこの見せ場にもカメラマンとかがかなり明確に映っていたりする。振り返ってみると、明らかに”アイドルアニメ”を(少なくとも従来の意味のそれを)やる気はない。

この辺ですでにくるみちゃんはアラートを出しているわけですが、まあくるみちゃんは頭いいからな……と思った。他人に期待されたり、自分が他人に影響を与えたり、そういうところまで頭回ってそう。

そっからはまあ、ちょっとずつギスギスの色が強くなっていく。この辺から東の悪いところがた~くさん出てたね。最悪で最高。いや、ふつうにイヤな奴だとは思うし、擁護する気もないんだけど。でも東も自分が思っているほどドライで合理的じゃないんですよね。わたしたちが東に対して過剰に批判精神を抱えているとしたら、それはやっぱり歪ですよ。高校生の女の子に、どれだけの成熟を求めているのか。

そっからはまあ、なだれ込むように全員が限界を迎え、少女たちの芸能活動は幕を閉じる。余談だけど、この辺は完全に『ミノタウロスの皿』だったな~と思った。価値観の根本的な違いというか。

そして孤独になった東ゆうは、改めて自分の周りにいた人たちに目を向けるようになる。この作品のテーマの1つは母親のセリフに要約されていて、つまり「(性格が)悪いところもあれば、そうじゃないところもある」という一言に尽きる。それは東ゆうについてもそうだし、アイドル活動についてもそうなわけだ。

この辺については今朝まとめていたので、長いけどコピペします。

『トラペジウム』、一晩明けて改めてこの作品は「友達」の話だったんじゃないかなと思った。

例えば、『映像研には手を出すな!』という作品には「わたしたちは友達じゃない、仲間だ」という要旨のセリフがある。
また最近リリースされた『学園アイドルマスター』のゲーム内イベントにも「わたしたちはきっと仲良しこよしにはなれない。でもそれでいい。だってみんな、アイドルになりたくてここに来ただけだから」という旨の発言があった(はず)。

こういった言葉は、従来のわたしたちが抱えていた「人と仲良くしなきゃいけない(目の前にある人間関係の輪を大切にしなきゃいけない)」という価値観(義務感)へのカウンターとして機能する。その意味で、セリフの系統としては『お客様は神様ではない』とかに近いと思う。
つまり、リアリスティックへの陶酔がそこには見られる。それは適切な現実主義の範囲を超えて、逆にリアルではなくなっている。

前置きが長くなったので結論を先に言うと、『トラペジウム』は「わたしたちは友達じゃない、仲間だ」的な価値観へのカウンターを主軸とした作品だと感じた。そして、最終的に東ゆうが許されるのも、まさにこのためだと。
東ゆうはリアリスティックに陶酔していた。東西南北のことを「友達ではなく、仲間だ」と思っていた。だから東西南北が解散したとき、自らを「目的のためなら他人を傷つける」「イヤなヤツ」だと称した。
それが周囲の人に許されたのは、「仲間ではなく、友達」だったからである。最後、東西南北の面々が東ゆうに感謝しているのは「アイドルになれたこと」ではないのが、その証拠と言えるだろう。

友達だったから一緒にいたかったし、友達だったから同じ場所にはいけなかったし、友達だったから別れたあとも一緒にいられる。

当たり前だけど、人間関係を筆頭にこの世の大体のモノというのは、そうそう簡単に割り切れるものではない。100%好きなモノも、100%嫌いなモノもない。その淡いの中でバランスを取り合い、結果的に付き合いを継続したりしなかったりする。

東西南北の面々のなかでは、東ゆうとの付き合いはイヤなところもあったけど継続したかった。アイドル活動は好きなところもあったけど継続したくなかった。言葉にしてしまえば、きっとただそれだけのことなのだろう。それが難しくなってしまったのが、現代なのかもしれないけれど。

そして最後、舞台は8年後(らしい)に移行する。アイドルとして大成した東ゆうは友達と合流し、写真展に足を運ぶ。そこで8年前の、自分と友達が青春にいたときの、写真を見返す。そして自らの日々を回顧する……。

『トラペジウム』が回顧録であるという見方にはややわたしは懐疑的だけど(少なくとも、だから東ゆうは回顧の産物として露悪的に描かれている、という見方はやや東に寄りすぎていないか?)、まあ過去を思い返しているというのは事実だと思う。

このシーンを見て、わたしは「『明るい部屋』読まないとな……」と思った。なんか写真哲学みたいな内容の本だ。写真とはなにか、という問いに対して、「確かにそこに、それがあったのだという実感を喚起するメディア」と答えているっぽい。読んでないから知らん。

だから買ってきました、今日。電子版がないから紙の本で。3000円近く払って。まあいい加減読まないといけないとは思っていたから、ちょうどいい機会だったけど。

そして買ってきたのとは違う本を今日は読んでいた。題名は『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』。今月に入ってから『ウマ娘』『スタァライト』『トラペジウム』と立て続けに"そういう映画"ばかり見ていたので。この本買ったのはたぶん2ヶ月ぐらい前ですが。今が読むときかもな……と思った。

ザックリ読んだだけなのでなんとも言いようがないけど、わりとフランス現代思想っぽいなと思った。千葉雅也とか好きな人は好きかも。

というか、ある意味で『勉強の哲学』を別のやり方で書いているという感さえある。『勉強の哲学』では、ユーモア(=ボケ)を通して自身の関心を平行移動させ、どこかで仮固定しろと主張していた部分を、別の形で(つまり衝動というキーワードを用いて)書いている、ということなのかもしれない。

(ただし、哲学的省察というよりは、レトリックを引き受けた論理展開がキモなので、合わない人は合わないかも)

なんか盛大に話がズレている気がする。でもトラペジウムについて、少なくともわかりやすく語れるところはもうないからな。『明るい部屋』読んでから改めて考えます。

あと、合同誌に参加する……かもしれない。わからない。やるなら短歌か小説だけど、〆切が意外とタイトなのでなかなか難しいものがある。募集締切までにある程度書ける算段がついたら参加したいと思っています。

じゃあ以上です。明日からボチボチ『明るい部屋』を読んでいきます。できれば今週中にあと1回は見に行きたいし(じゃないと上映終了しそうだし)、パンフも買ったのにロクに読んでない。なんだかんだ忙しくなりそうですね。

最後に、先週『ウマ娘』を観た後につくった短歌を1首。結果的に、今月観た映画の一端の総括的になった部分はある。どうせマトモに使えるものでもないので、備忘録的にここに書き留めておきます。


夢を見るほどの、あるいは目が覚めるほどの残光でしたあなたは


お疲れ様でした。


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