整理する(2024/6/3)

整理する、頭を。昨日考えていた諸々とか、改めてわたしの脳を鮮烈な光で焼いていった『劇場版少女歌劇レヴュースタァライト』のこととか。

昨日はネガティブが異常で、久々に身体の具合が悪くなる感じの落ち込み方をしていた。きっかけは研修中のミス……いや、ミスってほどでもない些細なことで。それでありえないぐらい凹んでしまった。自分でもビックリしたし、何なら他のひとも「えっ?なんで?大丈夫?」みたいな感じだった。

本質的な理由を語るなら、それはきっとわたしがとても傲慢で幼い、という話に収束すると思う。わたしは(たぶん)他の人より多めに矛盾を抱えているというか、自分の考え方がまだ安定していない。或いはそもそも空っぽなのかもしれない。

いずれにせよ、わたしは自分の価値を全く信じていないくせに、自分がいちばん優れていると思っているし、誰しもが悩みを抱えていると思いながら、同時に自分だけがある種の――思春期的な――悩みについてリアルに向き合っていると思っている。

わかっているつもりで、なにもわかっていない。わかっていないということさえ、たぶんわかりきっていない。

でも頭ではわかっているから、他の人からアドバイスされても困るし、されると「はっ、なんか言ってるよ」みたいな気持ちになってしまう。

その傲慢さの一端を自分のなかに改めて垣間見ちゃった……というのがたぶんキッカケかな。そっからは芋づる式で、自分がいかに他人を軽んじているのか、現実の痛みから目をそらして逃げているのか、自分のことしか考えていないのか、などなどがずっと膿として吐き出されていた。

中学の頃からわたしが抱えている悩みは変わらなくて、あの頃に感じた疎外感や自嘲的・自罰的な感傷をいまだに引きずっている。大学時代もそれと向き合って、そこに社会への恐怖みたいなモノが混じりあった結果、まあ私は就職留年という道を選んだわけだけど。結局あの時に問題を解決できたわけではなく、わたしはただ蓋をしていただけだったわけだ。

正確には、一応自殺未遂の5歩手前ぐらいのことを(自分のお腹に包丁を軽く当て、刃を滑らせた)して、その先のことはできなかったという事実が、わたしにとっては最大の敗北なのだけど。その敗北さえどうやら身に染みてないらしいので。本当は徹底的にやらないとダメだったんだろうな。その先のことは自分にはできないってことが芯から理解できるくらい、ちゃんと。

まあなんか、そういうことを無限に考えながら映画館までの道を移動していました。2時間ぐらい早く着いたから、周辺散歩しながらずっと考えていた。適度に疲れればいいんじゃないかと思ったけど、むしろ思考はガンガン加速してヤバかったわね。

で、そのメンタリティーで見たのが『劇場版 少女歌劇レヴュースタァライト』ってわけ。

一応言っておくと、去年の9月ぐらいにテレビシリーズ、『ロロロ』、『劇場版』は見ていて、その後アニメの前日譚(1年生の頃なのかな?)を描いたマンガも読みました。舞台版のマンガはちょっとだけ読んでいます。舞台は見ていません。あとゲームもやってない。

元々は、映画館では見れたら見るか、見たいけどちょっとめんどいしな……と思っていたんですが、1週間限定だし、時間帯的に平日はちょっと厳しいかも、と思い、急遽見ることにした。

そしてね……見てよかったね。映画館で見れてよかった。映画館で見る意味のあるシーンを、映画館で見れて良かった。

あと見るのもう3回目なんだけど、いまだに新鮮に感動していた。決起集会のシーン、良すぎる。あと中学時代の華恋がかわいすぎる。萌えか?

なんかもう、面白いとかじゃないかもしれない。衝撃だけを無理やり与えられたような気分になる。面白いんだけど、もうベクトルが全然違うなって感じた。

今回は改めて曲もちゃんと聞いて、うわあああって頭を抱えてしまった。1曲のまとまり、という単位に胸をえぐられている。「スーパースタァスペクタクル」とかさ、あれの1曲のまとまり、どこから始まってどこで終わるのかってさ、もうさ。全部じゃん。それが全部じゃん。

そういうのに感動しまくってしまった。なんかわたしがネガティブになったり『劇場版 少女歌劇レヴュースタァライト』に脳を焼かれている間に、兄の第一子が無事誕生したらしいけど、そんなん全部どうでもよかった。でもそういうところも結局幼さだな……とは思う。

はい、大体こんな感じです。ネガティブの話がめっちゃ長くなっちまったな。まあ日記なんだから、わたしが法だ。

お疲れ様でした。

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